メメント・モリ
先日、ペンフレンドのUさんから大きな段ボールが2つとどきました。いずれも10kgを超える大物です。中身は、レターセット、ポストカード、シールなどの紙ものと、もう一つはエレカシグッズがどっさり入っていました。エレカシの箱のほうには、何十年にもわたって彼女が集めてきたCDやDVD,フォトアルバムなどが詰め込まれていました。エレカシと共に歩んだUさんの青春の軌跡のような箱をみたとき、不覚にも鼻の奥がツーンとしてしまい、一度は箱のふたを閉めました。だんだんと整理されてがらーんとした部屋の中で彼女は今どんな気持ちだろうかと想像すると、いつしか涙があふれていました。
コレクションのほんの一部です
なにかお礼をしたいと思い、仲良くしている近所のお花屋さんと相談して、エレカシのイメージでアレンジメントを作ってもらうことにしました。出来上がったそれは、とてもスタイリッシュで赤と黒でエレカシのイメージをよく表していました。Uさん、気に入ってくれるといいなと思いながら、発送をお願いしました。
そしてアレンジメントの到着日。結局、Uさんから連絡はありませんでした。
少し心配していたところ、次の日の夜、Uさんから電話がありました。「昨日着いていたのに連絡遅くなってすみません、お花すごくきれいです。ありがとうございます!」
そういうUさんの様子は、すごく苦しそうで、たったそれだけ言うのに息が上がっているようでした。いつもとても元気で弾むようにはつらつとおしゃべりするUさんだっただけに、私はかなりショックを受けました。ああ、やっぱり、体調がよくないんだ。病状は進行しているんだ。
あえて体調のこと、病気のことにはお互いに触れずに、飼っている猫のこと、Uさんの最近の推しである、赤楚衛二のドラマが始まるのを楽しみにしていることなんかを話してくれました。
それでもやはり、苦しそうに話す様子に耐え切れず、ほんの5分もしないうちに、そうそうに電話を切りました。
3月に松山であったときには、末期のがんなんて何かの間違いじゃないかっていうくらいにあんなに元気だったのに。車中でずーっとおしゃべりしていたこと、エレカシのCDをかけてふたりで大きな声で歌ったことを思い出し、またしても鼻がツーンとしてきました。Uさんがもうすぐこの世を去ることがいよいよ現実味を帯びてきたのを感じました。
実をいうと、最初にUさんから病気のことを打ち明けられたとき、そんなつらい状況になるのなら、そもそもUさんと出会わなければよかった。文通なんて始めなければよかったと思ったこともあったのです。でも今はちがいます。
彼女と出会ったことで、私は「メメント・モリ」(死を忘れるな)を意識することができました。
一日一日を大切にしようとか、悔いのない人生を送ろうとか、よく言いますけど、私はひとつだけこれからの人生で意識しようと思っていることがあります。
それは、自分の心に尋ねること。
誰かが言ってるからとか、世の中の常識だからとか、いままでそうだったからとかではなく、自分のこころの底まで降りていって本当の自分の気持ちを確認し、それに沿って行動することをしていこうと思っています。それが私にとってこの先の人生を大切に過ごすということにつながるのかなと思います。
いつかの空、美しいハロ
爽子
mikityさん
記事を読んで、荷物を出したお友達と受け取ったmikityさんの気持ちを
思うととても悲しくなりました。
15年前に病気のことはなにも話さず逝ってしまった友達のことを思い浮かべて
今コメントを入れてます。
なくなる前日、絵文字いっぱいの携帯メールをくれていたので、長男と同級生の当時大学生の息子さんから、その同じお母さんの携帯で知らせを受けたときの驚きをいまも
覚えています。
最後のメール、絵文字いっぱいでも、短かった。
しんどいのにかえしてくれていたんです。
エレカシグッズを送り終えて、Uさん、ほっとされてると思います。
Uさんとmikityさんがであえて本当に良かった。
わたしも「メメント モリ」
自分にきいてみることにします。
とても大切なことを教えてくれてありがとう。
おふたりに、そして、天国のyさんに感謝します。
mikity Post author
爽子さん、温かいコメントありがとうございます(松山編のときもありがとうございました)。
爽子さんも大切なご友人をなくされているのですね。ご友人からの亡くなる前日のメール、爽子さんに心配かけまいとして一生懸命絵文字を入力してにぎやかなメールにしたかったのでしょうね。病気のことを話さなかったのも、余計な心配をかけたくないというご配慮だったのでしょうね。とても強くて優しいご友人ですね。
今回のことがなかったら「メメント モリ」なんて、なかなか身に染みて想うことはなかったと思います。残りの人生後半戦、常に自分と対話しながら生きていきたいと思っています。
ぶんぶん8
mikityさん、こんにちは。
いつもサブスクで音楽を聞きながら通勤しているのですが、今朝は宇多田ヒカルの『道』という曲が流れて来ました。
「いつも心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も」
という歌詞にハッとしました。
癌で亡くなった恋人のことを思い出したからです。
亡くなってしばらくは、いつも彼だったらどういう風に言っただろうと行動の目安にしていました。今はわざわざ「彼だったら」とは思いませんが、それはきっと自分の中に彼がいるのが自然になったから。
その彼が、亡くなる少し前に体調が悪いにも関わらずに会いに来てくれて、無理をさせて申し訳なく思う私に言ってくれたんですよね。
私といるときだけが病気のことを忘れられるのだと。
Uさんも、mikityさんとの時間がそうなのではないでしょうか。
Uさんにとってmikityさんとの時間は、大きな人生の彩なんだと思います。そしてそれはきっとmikityさんにとっても。
縁とか出会いとかってなんなんでしょうね。
きっと互いに求めあって出会ったのでしょうね。
Uさんにmikityさんがいてくれてよかったと、私も感謝します。
mikity Post author
ぶんぶん8さん、温かいコメントありがとうございます。
ぶんぶん8さんは、恋人を癌でなくされているのですね。無理をして会いに来てくれたお話を聞いて胸が苦しくなりました。でもきっと彼にとっても無理をしてでも会いたい人がいたという事実の方が大切なのかもしれませんね。
本当にねぇ、縁ってなんなんでしょうね。最近、すごくそう思います。深い縁が結ばれる人って、やはり双方にとって必要な人なんでしょうね。ひとつひとつの出会いに大きな意味があるなあと思います。ひとつとして無意味なものはないですよね。
人生って結局、人との出会いに尽きるような気もします。
そして、最後の
「Uさんにmikityさんがいてくれてよかったと、私も感謝します。」の一文に、じーんと感動してしまいました。
そんな言葉をいただけて私もぶんぶん8さんに深く感謝しています。
ありがとうございました。