夏のバスツアー。
僕の子どもの頃、父はよく家族を旅行に連れて行った。それほど裕福な家族ではなかったので、旅行会社が主催するバスツアーが主だった。僕はそれが大嫌いだった。なにしろ、僕はバスに弱い。すぐに酔ってしまう。どうせなら列車の旅がいいのだが、バスツアーは格段に安かったのだと思う。
それでも、父はあちらこちらの温泉などに僕たちを連れて行ってくれた。バスツアーなので、ほとんどが団体旅行扱いだ。見ず知らずの人たちが同じバスに乗り、同じ旅館に泊まり、大広間で同じようなお膳を前に食事をする。
いまなら、そんなツアーに参加する人はほとんどないだろう。というか、実際に、そういうツアーはだんだん減っているそうだ。それはそうだろう。どんな人たちが一緒になるかわからない。それでも、父がそんな状況を楽しめる人ならよかったのだが、それがそうでもない。
だいたい団体旅行をすれば、一人や二人、規格外の人が参加しているものだ。お酒を飲んで大声で歌い出す人や、バスガイドのお株を奪って観光地案内をしようとするおっさんがいた。その度に、父は文句を言うのである。ひとつのバスツアーに参加して、ずっと楽しかったことなんて一度もない。なのにまた申し込む。そして、また嫌な目に会って、文句をいう。
でも、小学校のうちは親に逆らうなんて考えられないので、旅行の計画を相談されると「行きたい」と相づちを打たざるを得ない。そして、行くとぐったりと疲れる。
なんのためのバスツアーだったのだろうかと思うが、おそらく不器用な父が、夏休みの宿題の絵日記にでも書くネタがあった方がいいだろう、と思っていたのかもしれない。または、子どもたちを旅行に連れて行くくらいには稼いでいるんだ、ということを確認したかったのかもしれない。もちろん、純粋に家族の思い出をつくりたい、という気持ちも強かっただろう。
だけど、やっぱり他にも思い出の作り方もあっただろうし、絵日記のネタを作る方法もあっただろうと思う。きっと、その不器用さが、父なりの焦りにもなっていたのだろう。
中学に入った頃、父から「今年の夏も旅行に行こう」と言われた時、僕は「今年はもういいよ」と断った。「なぜだ」と問われて「夏休みの絵日記もないし。第一、しんどいし」と答えると、激高した父に拳で殴られた。
そのあと、どんなやり取りがあったのか、どうやってその場が収まったのかまったく覚えていないのだが、それ以来、僕の家族は旅行をしなくなった。毎年夏になると、あの時のことを思い出す。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
くるりん
なんだか親子それぞれの立場や気持ちを思うと切ないようなしんどいようなほろ苦いような…。
いろんな気持ちが交差する夏の思い出、なのですね。
思いを馳せて、一緒にぐるぐるぐる。しちゃいました☆
子供の頃って意外と親に気を遣ってますよね。
行けば多分親は不機嫌になる、でも行こうと言っている気持ちを思えば断るなんて…とか。
私の父はそもそも家族をどこかに連れて行く、とか考えない人でしたが…一度だけ、遊園地に連れて行ってくれると言って車で出かけたことがあります。たしか母に一度くらいと懇願されて。
父と母、私と弟。二人とも小学生、まだ低学年だったと思います。
観覧車が見えてきてわくわくしていた時、入場を待つ長蛇の列を見て父が「こんなに待てるか。帰るぞ。」と。
そのまま車をUターンさせた父に、二度と遊びに連れて行って欲しいなんて言えなかったなぁ…。
家族の思い出、ってどうしてこうもほろ苦いのでしょう(苦笑)。 ←そうじゃない家族もあるでしょうけど(^-^)
”こうあるべき”という世間の押しつけといいますか、型に囚われて義務感とか責任感で家族ごっこをしてしまうとたいていうまくいかない気がしますです☆
向き不向きがあるのに、無理をして…そのしんどさで八つ当たり、とか。
やめちゃえばいいのに~…って思います☆ ←無責任?(爆)
個人的なことまで書き綴って失礼しました☆
バスツアー自体はいつかお友達と参加してみたい気もします♪
uematsu Post author
くるりんさん
父親と息子というのもあるかもしれませんね。
同じ屋根の下に男がいて、なんとなくどちらも偉そうにされるとおもしろくない。
そんな思いが、とてもくだらないところで見え隠れしたりして。
なので、ケンカが勃発しても、
その瞬間にはきっかけだけがあって、
本当の理由はもっと別なときにすでにあったりする、ということも。
いやもう、ほんと。
家族はややこしい(笑)
くるりんさんのお父さんの「帰るぞ」もいいですねえ。
なんか、僕も言ってしまいそうです(笑)。
nao
こんばんは
お父さんにとっては、そのバス旅行が
一番の家族サービスと信じていたのでしょう。
それが楽しいかどうかは二の次で。
いえ、きっとuematsuさんも時々楽しそうにしてたのですよ。
それなのに何だよー、というお父さんの気持ちが聞こえてくるようです。
うちは貧乏だったので記憶にあるのは一度だけで
うらやましい気がしますけどね(笑)
uematsu Post author
naoさん
ほんとに子供は勝手なもんだなあ、と思います。
確かに、いろいろ楽しいこともあったんでしょうね。
ただ、その不器用さに「もう、いいんだよ」と言ってやりたかったのかもしれません。
でも、それを言われたら、そりゃ怒りますよね
サヴァラン
つい最近
「恥ずべき父」という言葉が気になりまして。
いやもちろん植松さんのお父様のことではないです。
もともとは「ファミリーシークレット」という言葉が気になり
そこから「第三の新人」の「恥ずべき父」って
さてどんな「父」だったかしら、と。
うちの父も「子どもを押し黙らせる」名人です。
わたしは子ども心に「それ」がイヤだったんです。
父は「父の威厳」のつもりかもしれないのだけれど
わたしの眼には「父の思考停止」にしか見えなくて。。。
友人に言われました。
「自分の父親だからって、
こうあって欲しい、こうでなきゃおかしいって
理想の父と実際の父親とを答えあわせすると
子どもは息詰まるよ」と。
親は子供に理想を描くし
子供は親に理想を描くし
ほんと
家族ってややこしいですね^^
uematsu Post author
サヴァランさん
『恥ずべき父』はとてもいい言葉ですね。
とういか、胸に刺さります。
『恥ずべき父』というのは、高校生の頃によく友達と話していた、
『家族は恥部』ということに通じる物があって、
その象徴が『父』であり、特に男子にとっては、
そこに将来の自分が透けて見えたりすることが、
どうしようもない無様な関係性を生んだりするのかも知れませんね。
だけど、いまの世の中、親子関係でさえ、
あんまりもめずに、あんまり無様にならないでおこうとして、
結局、プチモンスターばかりを生み出す結果になっているのだから、
どうしようもないなあ、と思ったりします。