『泥の河』をフィルムでみる。
宮本輝の処女作『泥の河』を自身のデビュー作として小栗康平が映画化したのは1981年だった。これまで宮本輝の小説はいくつも映画化されているけれど、この映画化がもっとも優れていると僕は思う。
その時、僕は19歳で映画の学校に通っていた。たまたま映画館で見た『泥の河』は衝撃的で、まだ入れ換え制が一般的ではなかった映画館で、僕は続けて3回座席に座ったままでいた。
いちばん衝撃を受けたのは、これから映画監督になろうと決意した男が、『泥の河』という地味な作品を選び、全編モノクロの作品としてフィルムに定着したことだった。
1981年と言えば、すでに『スターウォーズ』も『未知との遭遇』も封切られた後で、邦画だって石井聰互の『狂い咲きサンダーロード』や大森一樹の『ヒポクラテスたち』が公開された後だ。
SFやアクション映画などの娯楽映画がこれでもかと封切られている中、小栗康平という新人監督が宮本輝の『泥の河』を選び、丁寧に丁寧に映画化している。そのことに僕は衝撃を受けてしまい、その後も映画館に何度も足を運び公開している間に十回近く見たのだった。
田村高廣、藤田弓子、加賀まりこなど芸達者な役者たちは出てはいるけれど、決して派手ではない。しかも、大阪を舞台にした大阪弁の物語で、これが大ヒットにつながるとは誰にも思えなかったのだろう。案の定途中で制作費が底をつき、小栗康平はフィルム代を稼ぐために工事現場でアルバイトをしていたという話が聞こえてきたりした。
そこまでして小栗康平が描きたかったもの。それはいまこの時代に『泥の河』を見ればはっきりとわかる。売春をするための小さな「郭船」で母とともに生活する姉と弟。そして、その船が停泊している岸にほど近い場所のうどん屋の息子との交流が描かれるのだが、初めてうどん屋の息子が郭船を訪れるシーンが秀逸である。
「遊びにきたんか?遊びにきたんやろ?」
本当はその船には乗ってはいけないのではないか、ということをどちらもが知っている。しかし、遊びたい盛りの男の子どうしだ。恐る恐る、船に乗るうどん屋のノブちゃんがとてもいい。迎え入れる船の子、キッちゃんも照れ具合も初々しい。
この恥ずかしそうな、たどたどしい出会い方こそが、あの当時、日本から失われつつあった人と人との接し方であったような気がしてならない。
当時、ネットもなければ、携帯電話もまだなかった。ましてやSNSなんて想像すらしなかった世の中で、それでも人と人との出会いや付き合いは性急になっていたし、刹那的になりつつあったのは確かだ。
あそこにいる。でも、声をかけてはいけない相手ではないのか。
そんな相手を察しながら逡巡する思いはいまやすっかりこの世から消滅してしまったものなのかもしれない。
終戦から十年後の大阪を舞台にした『泥の河』を思い出しながら、いま目の前で繰り返し映し出されるパリでのテロを眺めて、あの戦争はなんだったんだろうと思う。
田村高廣がキッちゃんの歌う「ここはお国の何百里~」という声を聞きながら、夜の川面を眺めながら「必死で日本に帰ってきたけど、あの戦争で死んでしもたほうがましやったんやろか」とつぶやくのだが、もはや戦争は国と国との戦いでもなくなっている。
今こそ、人と人だと思うのだが、SNSは人と人と驚くほど素早く結びつけて、同時に深く傷つけもする。そして、いったん傷ついた人と人との絆は、互いをブロックしあえば、一生すれ違いもしない。
まずは、歩いて会いに行く。メールではなく電話をかけて声を聞く。一日に一度は戸惑うことを自分に課してみなければ生きている甲斐はないのかもしれないと、本気で思う。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
アメちゃん
「泥の河」好きな映画です!
でも観ると辛くて泣いてしまうので、回数は観ていません~~;。
なんていうか、人間がもつ温かさや切ない残虐さ、いろんな心のひだが
ちょっとしたシーンに感じられる映画だなぁとおもいます。
きっちゃんが軍歌を歌うシーンも、なんともいえず哀しいですね。
私は、あの田村高廣が演じるおじさんの優しさがとても好きです。
そして
「きっちゃん、きっちゃん!」と呼びながら船を追いかけるシゲちゃんのシーンは
たまらないです。号泣です。
カミュエラ
宮本輝氏の作品で一番最初に読んだのが「泥の河」でした。そして彼の作品の中で未だに一番好きな作品です。全体的に暗いストーリーなのに読後感が良く、しばらくは宮本さんの作品ばかり読んでいました。
映画も原作に忠実に作ってあって、地味だけれどもほんとにいい映画でしたよね。
「恥ずかしそうな、たどたどしい出会い方」「相手を察しながら逡巡する思い」・・・・全くなくなったわけではないですが、確実に減ってきていますよね。
テクノロジーの発展は素晴らしいことですが、便利になればなるほど私たちは「待つ」事をしなくなってきてるというか、出来なくなってきているのが原因のように思うのです。
欲しい答えがすぐに手に入ることは、本とはいいことばかりじゃない・・・・・想像力も必要なくなってきてる感じがします。
「あの人は今どうしてるんだろう?どんなことを思って毎日生活してるんだろう?」とか、身近なところでは「なぜうちの旦那はあのような思考回路なのだろう?」とか、ひとり想像するところには必ずどんな形であれ「愛」があると思うのです。やっぱりつまるところは愛ですよね・・・・・・人を思いやる心・・・・・
今のネット社会に危機感を覚えるのは、生き物としての根本的な本能がそうさせていると思っています。
このまま行けば人間と言う種の滅びにつながると言う・・・・・大げさですか?
すいません、こういう話になると本と私長いんです。でも本気でそう思っています。
もう後戻りは出来ないでしょうが、もうこの辺でやめといたほうがいいだろうなと・・・・・
うちの夫も息子もテクノロジー崇拝派なので、私のことを原始人扱いして馬鹿にしますが、私は負けません!(笑)そして、原始人なので一生スマホは持たない覚悟です!!!
すいません、こんなコメントで。原始人として言わせてもらいましたよ。
いまねえ
泥の河、私も観ました。映画館はどこだったかな。。
田村高廣が好きで観に行きました、白黒の画面が新鮮でした。
SNSでは気配を感じられない、顔色や声音声色を察知できない。
波長の合う人と出逢える可能性も高いけど、やはり両刃の刃。
より想像力とバランス感覚を求められる大人のツール、なのですね。。
uematsu Post author
アメちゃんさん
ほんとに、あのお父さんの優しさは胸に迫りますよねえ。船の姉弟を思いやる一つひとつの動作が切なくて切なくて。
あのお父さんに会いたくて見ているのかもしれません
uematsu Post author
カミュエラさん
安心してください、はいてますよ。
嘘です、僕も原始人です。
滅びるんでしょうね。
だけど、今までと違う種類の人たちが
栄えるのかもしれません。
テクノロジーは大切だけれど、
そこに人肌の何かを残す努力が、
きっと必要なんでしょうね。
uematsu Post author
いまねえさん
SNSは諸刃だと思いますね。
ただ、ほんとに便利なので
いろいろ形を変えていくんでしょうね。
だけど時々、そんなに出会ってどうすんの?
と、思ったりします(笑)
おつ
原作、映画、マルセ太郎の語り、この順番で「泥の河」に出会いました。
「泥の河」いいですね。川三部作のうちで一番好きです。
鉄くずの匂い、川の匂い、お祭りの露天商の匂い。
川のほとりの湿気、夜風。橋の上の喧騒。
映画はスクリーンから五感に訴えかけてきた。
えっと、、、
マルセ太郎の語り、も絶品。偶然NHKの放送で聞いたのですが、映画を凌ぐほどの芸術だと思った。
SNSは、人類がテレパシーで意思疎通するようになるまでの一つの段階だと思う(←何をいきなり!?)
そこへたどり着くまでまだまだ学ばなきゃ、、だけどね。
アメちゃん
私ったら、感情移入しすぎて名前まちがっちゃってますね。
シゲちゃんって私の友人の名前^^;!
おもうに、あのおじさんのように
肉親以外の赤の他人で、こどもにとって心の拠り所や逃げ場になる大人も
減ってるのかもしれませんね。
だから、とても懐かしくて映画の中ででも会いたくなるのかも。
SNSはいろいろ欠点もありますが、
テレビや新聞では報道しない情報が手に入るという利点はあるとおもいます。
>カミュエラさまへ
私も原始人です!スマートフォンどころかテレビも持ってません(^^)」。
uematsu Post author
アメちゃんさん
「シゲちゃん」には気がつきませんでした(笑)。
でも、あの映画のなかだと「シゲちゃん」よりも「ノブちゃん」のほうが、
しっくりくるような気がしますね。
僕が子供の頃は、風呂屋で騒いでいると、
よそのおっちゃんに怒られたり、
電車の中でガムをくちゃくちゃかんでいると、
よそのおばさんに、自分も母親が「しつけをちゃんとしなさい」と叱れたり。
とんでもない人もたくさんいましたが、
優しい人もたくさんいた。
そんな気がしますね。
uematsu Post author
おつさん
マルセ太朗さんは、晩年、「泥の河」にすっかりはまっていましたね。
あと、昔、どこかから出ていた橋爪功が朗読している「泥の河」があるんですが、
このCDがとてもいいんです。
もともと、橋爪さんは関西の出身なので、イントネーションも違和感がなくて。
しかも、田村高廣のお父さんに通じる優しさがみなぎっていて。
SNSについては、テレパシーかどうかはわかりませんが、
どこかに行くための通過点だという気はしますね(笑)。