祖父の棺
梅雨時になると、母方の祖父が亡くなった時のことを思い出す。
僕が小学校三年生の時、自宅の電話が鳴り、祖父が亡くなったという知らせが届いた。夜のおそらく8時頃。僕が大好きだった『野生の王国』というネイチャー系のドキュメンタリー番組を見ている真っ最中だったと思う。
近い親族が亡くなるという経験が初めてだったので、近所の病院へ行き、いつもは元気なおじさんたちが悲しみに暮れている様子に緊張した。
葬儀の日は朝からずっと雨が降っていた。見ず知らずの礼服を着たおじいさんが「この人が生まれた日も雨が降っていたんでしょう」とつぶやいた。僕はそんなものなのかなあと思いながら、祖父の棺を眺めた。
葬儀は祖母の家で開かれた。祖父の家ではなく、祖母の家だと言うのは、そのころすでに祖父と祖母が離婚していたからだ。母をはじめとする6人の子どもたちのうち5人は祖母の戸籍に移され、次男だけが祖父の戸籍に残った。つまり、祖父は離婚していたにも関わらず、祖母や子どもたちに葬式をあげてもらった、という形になる。
葬儀はそこそこ盛大だったが、棺を村のはずれの焼き場に運ぶころになると、近い親族だけが残った。小学生の僕の肩には棺の重さはほとんどかかってこなかったが、それでも、そこに祖父が入っているのだと思うと、妙に緊張し、体が棺に引っ張られるような気がした。
雨が降り続き棺を濡らす。雨だれが細いすじになって、棺から僕の手へと流れてくると、なんだか祖父の体を洗った雨水を浴びているような気になって、気持ちが悪かった。
棺を担いで歩き始めてから十五分ほどでお寺の墓地の隅にある焼き場へ到着した。当時の焼き場はただコンクリートの低い塀で囲われた三メートル四方程度の場所で、屋根も付いていなかった。
子どもは離れているように、と言われたので、遠巻きに眺めていた。油をまいて、火をつけると、棺は勢いよく燃え始めた。しかし、一緒に燃やす藁や、棺そのものが雨で湿気ていたためか、やがて火の勢いは弱まり、途中で消えてしまった。
「焼けたんちゃうか?」
「いや、まだやろ」
「ちょっと、見てみるわ」
そんなやりとりの後、かなり焦った声で、
「あかん、まだや、まだや!」
「もう一回、火つけんかい!」
という怒号にも似た声が飛び交った。
2度目に火を付けた時には、雨がかなり弱くなっていた。女たちは「焼き上がるまで、食事の用意をする」という理由でいったん墓地から去っていた。残された男たちは、祖父の遺体が焼き上がるまでの間だ、祖父の思い出話や、生々しい翌日からの資金繰りの話などをしてすごした。僕のほかに子どもがいたかどうかは、思い出せない。
僕の隣に座っていた祖父の弟にあたるおじさんは、先ほどから頻りにむせている。
「どうしたの?」と僕が聞くと、
「さっき、じいさん焼いてる火で煙草の火をつけたんやどな、臭そうてたまらんのよ」と答えるのだった。そして、答えながらまたせき込み、むせるのだ。
そう言われて、僕は煙草の匂いに、祖父が焼かれる煙が混ざってしまったのだと思った。このおじさんは、煙草と一緒に祖父を吸い込んでいるのだ、と。ふと、僕はそれがどんなにおいなのかと、おじさんの吐き出す煙草の煙を嗅いでみたのだった。しかし、煙草の煙はいつもどおりの、ちょっといやな臭いしかしなかった。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
カミュエラ
不謹慎ですが、ご遺体の焼け具合を確かめるくだりがまるでオーブンの中のお肉の焼き具合でも確かめるような軽く明るい感じがあり、思わずクスッと・・・・
私にも忘れられないお葬式があります。
私が5歳の時のことです。近所に住む同い年の女の子が急に亡くなってしまったのです。
夕立のときに激しく鳴った雷の音に驚いて心臓が止まってしまったのだと聞かされました。
彼女はとてもおとなしい子で、暴れん坊の私とはあまり遊ぶことがなかったのですが、お葬式の日にはよそ行きのワンピースを着せられ親たちと一緒に式に参列したのです。
8月の暑い盛りで眼が眩むほど日が照っていました。
喪主のあいさつで彼女のお父さんが参列者の前に立ったのですが・・・・・
前を向いたとたんに「わーーーーー」っと泣き出したのです。
もう叫ぶような吠えるようなほんとに激しい泣き方でした。
高校を卒業するまで私は実家で暮らしたのですが、亡くなった娘と同い年の私をその子のご両親はどんな風に見ていたんだろうとずーーと後になってから考えるようになりました。
無邪気にランドセルを背負って小学校にかけていっていた私、制服を着た中学生の私・・・・・
実家が自営業だったので店番をすれば、そのご両親ともちょくちょく会って・・・・・
そして自分の両親の気持ちも考えてしまうのです。
長々とすみません、5歳の夏の忘れられない出来事でした。
uematsu Post author
カミュエラさん
人それぞれの感情はいくつになっても図り難いですね。
でも、様々な感情があるのだということを年を重ねるごとに知り、その一筋縄ではいかない気持ちが人生を豊かにするのかもしれません。
祖父の葬儀など、ほんの少し前の話なのに、あの頃はもっと死が身近だったなあと思います。
葬式はもっと家族の手で行われる部分が多かった気がします。お正月に初詣に行けば、境内に傷痍軍人がまだいて、アコーディオンを弾いていました。
最近、そんな死の匂いのような記憶に、少しホッとします。