奈良の山の中で聴くサッチモちゃん。
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
昨年から続いているNHKの朝の連続ドラマ『カムカム・エヴリバディ』はとても面白い。あのドラマの中で、ルイ・アームストロングが演奏する『On the Sunny Side of the Street』が「とっても大切な曲」として扱われている。
「陽の当たる道を歩いて行こうね」という人の望みと祈りの象徴として、この曲が物語の踊り場的な場面にさしかかるたびに聴こえてくる。主人公もルイ・アームストロングから名前をもらって「るい」と名付けられた。物語が進み、ジャズミュージシャンたちとの交流ができてから、るいは「サッチモちゃん」と呼ばれるようになっている。
サッチモはルイ・アームストロングの愛称だが、サッチモという愛称を聞くと思い出すことがある。
僕がまだ20代になったばかりの頃。映画の学校の新米先生をしながらシナリオを書いたり、カラオケビデオを撮ったりしていたけれど、それなりに毎日を楽しくいい加減に生きていたような気がする。そして、いまのようにSNSで人を塩漬けにするような情報はなくても、周囲の大人たちを追い抜いてやろうと、必死で大人びたものを探していた。
そんな大人びたものの代表が僕にとってはジャズだった。いいと言われるジャズマンのアルバムは片っ端から聞いたし、まだそこそこ数のあったジャズ喫茶にも出入りした。
奈良の橿原にあったジャズ喫茶に『山』といういい店があると、地元の女の子に教えてもらってから、その店は僕のお気に入りになった。広い店内にはピアノがあり、真空管のアンプやJBLの大きなスピーカーがあった気がする。そして、店内はいつも客が少なく、暇な時はマスターがハンダづけをしていた。あれは、アルバイトだったのか暇つぶしだったのか。
その日も客は僕ひとりで、カウンターに座ってコーヒーを飲みながらビル・エバンスなんかをかけながらマスターと話をしていた。そこへ扉が開き客が一人入ってきたのだ。
赤いワンピースを着て、赤いつばの広い帽子を被った女性だった。若くはない。かと言って年配という感じでもない。いや、あの頃の僕に女性の年頃を言い当てるだけの気量はなかった気がするので本当のところはよくわからない。ただ、もしかしたらお金持ちかも、という気がした。身につけているものが高そうだというのと、なんとなく雰囲気が浮世離れしていたからかもしれない。
その赤い女もカウンターに座った。僕と一席あけて。そして、「なにかカクテルはあるかしら」とマスターに聞き、「簡単なものなら」とマスターは答えて会話は終わった。しばらくの間、三人で黙ってビル・エバンスを聞いていたのだけれど、アルバムが終わると、赤い女がマスターに声をかけた。
「リクエストしてもいいのかしら」
「いいですよ。なにかかけましょうか?」
「サッチモ、お願いできる?」
「おっ!サッチモ!ルイ・アームストロングですね」
マスターがうれしそうに答えると、赤い女は怪訝な顔をした。
「いいえ、サッチモよ」
「あ、はい。そうですね。サッチモね。うん、ルイ・アームストロングですよね」
「あ、そうね。じゃ、サッチモのその曲かけて」
「はい、わかりました」
そう言って、マスターは『On the Sunny Side of the Street』をかけたのだった。
レコードに針を置いて、パチパチとノイズが鳴り、店内がシンとしている数秒の静けさは忘れられない。赤い女が、こんなのサッチモじゃないなんて言い始めたらどうしよう。そんなことを思いながら、僕たちは曲の始まりを待っていた。
そして、弾けるようなサッチモのラッパが聞こえ始めると、一瞬にして奈良県橿原市のジャズ喫茶『山』の中は、それこそ陽の当たる道のように明るく照らされた気分で満たされた。
赤い女もカウンターを軽く指で叩きながらサッチモを聴いている。マスターは僕に笑いかけながらコーヒーのおかわりを注いでくれる。
ドラマの中から「サッチモちゃん」という呼び声が聞こえるたびに、僕が思い出すのは、『On the Sunny Side of the Street』が流れ出す、数秒の沈黙なのである。
植松さんのウェブサイトはこちらです。
植松眞人事務所
こちらは映像作品です。
植松さんへのご依頼はこちらからどうぞ→植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。