(7)値札のない世界
あけましておめでとうございます。写真をもとに中島。さんが描いてくださった似顔絵を、カリーナ部長に「意外に美人(笑)」と評されたプリ子です。
見栄をはって写りのいい写真を選んだばっかりに。。。これでは、実物を見た人が「なーんだ(プププ)」になること必至じゃないか(真っ青)。最初っから正直な写りの写真にしておけばよかったぁぁぁ(頭を抱える)。カリーナ部長のブログに、松坂慶子は太って正解、という記事がありましたが、まさにそれです。見栄ははらないに限る。い、いやっ、自分、松坂慶子ちゃうしぃぃぃ(床を転がりまわる)。
…アホちゃうか。
新年一本目は似たような話題で。
ゲイの友人がいます。その業界(?)の人の例にもれず、とても社交的です。なので、彼が催す集まりに時々誘われます。(女性嫌いのゲイと、そうでないゲイがいるようで、彼は後者)
ちょっと前までは、そういう集まりでよく困惑しました。
だって、誰も私を見てないんだもん!!
…いや、別に、いつも誰かに注目されるほど素晴らしい私って言いたいんじゃないんですよ。全然違うんです。別に普段(=異性愛の人が多数派の場を一応そう呼びます)も別に注目されてません。
ただ、彼らにとって女性は「そういう対象」じゃないってことで、それが極端に言えば、もう「空気」みたいなもんなんです。たとえ不細工だろうが美人だろうが、それすらも問題外。話し相手としては面白がって話してくれるけど、その目は明らかに「そういう対象じゃない」と語っている。
逆に言えば、普段の職場でも、街中でも、友人関係でもが、じつは「そういう対象」として見る/見られることを前提にしていたということなんですねえ。そのことにむしろ驚きました。全くそんなこと意識してないつもりでも、じつはそれが大前提だったんです。異性に対してどう見られているか気にしたり、異性を「まあまあ」「好み」「全然」とか格付けしてたり、どこかの集まりに行って、ささっと品定めされているその瞬間を、察知していたのでした、自分。
だけど、ゲイの集まりでは、女性は「そういう対象」じゃない。一緒に行った友人(女性)Oが驚愕してました。「今日かわいい服着てきたのに、誰も見てない!」…私が見てますから。うんうん、その服かわいいよ。と、女子どうしで褒め合う。でも誰にも響かない。普段は、女子どうしで褒め合っているときだって、どこか、異性に見られているっていう前提がある。だけど、ここにはそれが無ーい!
それがですね。最近、こうした集まりのほうが、気が楽になってきました。
普段の場での自分の値段の暴落ぶりが激しいからです(ということを自分が気にしているからです)。
ちょっとした集まりでささっとした品定めされたときの「あ、おばさんか」というガッカリ感。おばさんとしてどう振る舞ったら感じよく思われるのか、飲み会の席でキャラが定まらない落ち着かなさ。ぬぉぉぉぉ。
1万円だった服が、値札に何度も二重線がひかれて、いまや1000円で売られているような悲しさ。そりゃもともと10万円じゃなかったけど、でもさー。
しかし、ゲイの集まりだと私にはそもそも値札がつかないのだ! どうせ値段が暴落するぐらいなら、最初から品物でないほうがよっぽど楽。20代のピチピチの若者に引け目を感じることもないし、「あ、おばさんか」とガッカリされることもない。10万円でも1万円でも1000円でも関係ない世界って、なんて素晴らしいんだろう。
ブラボー、値札のない世界! (←なんら根本的解決になっていない)
こうした、「見た目がいいと思われたい」「女として現役でなくちゃいけない」という愚かな思いこみや煩悩を、手放す、のは無理かもしれないから、せめて手なずけたい。それこそが閉活の芯かもしれないです。私にとって。
——————————-
プリ子
nao
こんにちは
今回も身にしみる話題ですね。
自分がどんな値札をさげているかわからないけど
人の値札はついつい見ているもんだなと気づきました。
それにしても、女として見られたい煩悩を手放すのなんて厳しいです。
大体、閉活中におしゃれに目覚めたのは
老人ホームに訪問している理容師さんから
女性も閉経後に、しっかりしたあごひげが生える人がいる
と聞いてからなんです。
おばあさんになるのは仕方ないとして
おじいさんになるのはちょっとなー
それも越えるとまた違った風景が見えてくるのでしょうか??
きゃらめる
48歳。おばさんを自覚しだして8年。厚かましくも40までは、まだまだイケルと思ってた、イタい奴です。
最近男女問わず若い方からの評価が、
女としての値踏みではなく、
側にいて居心地よい人か否かになってきた気がします。
居心地よいと思ってくれた方からの視線はなんというか、いたわりの微笑み、みたいな?
合わないとされた方からの視線は、通りすがりの人に対すると同じで、温かくも冷たくもない、風がするんと通り抜けてくような感じ。
そういう年なのだけど、でも女をまだ卒業したくないというのが本音(笑)
閉活って、深いですね(^-^;
プリ子 Post author
nao さん、煩悩なかなか手放せないお仲間がいらしてうれしいです!
あごひげが生えたおばあさんはどんな気持ちなんでしょう。
感想を聞いてみたいです。
「いっそ、おじいさんになっちゃったほうが気が楽ですか!?」
なーんて。。。
プリ子 Post author
きゃらめる さん、
「居心地いい人」ですか~、しかも「いたわり」ですか~
よく男の人が「女性にいい人って思われそれても、モテないってことだからうれしくない」
みたいに言いますが、まさにそれですね!
モテの希望が一切ないポジションって、、、これからはずっとそうなのかあ、、、
イタい私には険しい道のりです。
宮木
こんにちは。
私は昨年ゲイ友ができたばかりなのですが、彼らの「そういう対象じゃない」態度の洗礼を浴びたクチなので、すごくよく判ります。
>逆に言えば、普段の職場でも、街中でも、友人関係でもが、じつは「そういう対象」として見る/見られることを前提にしていたということなんですねえ。そのことにむしろ驚きました。
まったく同感!!
でも、最近高齢者の婚活が盛んで、高齢者ストーカーというのも増えているという話ではありませんか。
若者世代と混じれば、「女」じゃなくても、同世代ではずっと「女」なのかな?という気もするのですが・・・。
どうでしょうか?
プリ子 Post author
宮木さま、コメントありがとうございます!わかっていただけてうれしいです~
老人ホームで恋のさやあてとか聞きますね、たしかに。50代のおじさまのなかにいると、ちょっと懐かしいチヤホヤ感がなくはないかも。漁場が小さくなる感じなんでしょうか(笑)