熱海の夜、月の写真と小津安二郎
熱海のホテルで、いま書いている。東海道本線が走る真横に建っている古いホテルで、列車が走る度にその音の大きさに驚く。驚くけれど、まあ、疲れているので眠れそうだ。なぜ、熱海にいるかというと、今年の3月まで教えていた映画学校の卒業生が伊豆あたりでいま暮らしているので、ちょっと顔を見に立ち寄ったのである。彼は中国からの留学生だった。とても良い映画を撮り、卒業制作も優秀賞を受賞した。いまは、仕事をしながら自分自身の映画を撮ろうと準備を進めている。
久しぶりに話をして、夕食をとり、コーヒーを飲んで別れた。彼は車で帰っていき、僕はホテルに帰ってきたのだった。そして、さっき、列車の音に驚いていると、ちょうどスマートホンがなり、写真が送られてきた。「先生、いまの月です」とメッセージがあり、綺麗な月が写っていた。「良い月だ」と返信すると、「小津安二郎もこの月を見ていたんですね」とまた返信が来た。
さっきまで、熱海で再会を喜び、「熱海と言えば『東京物語』の一場面だね」と話していたからだけれど、なんだか嬉しくなってしまった。夕方、熱海に着いたばかりのころは土砂降りの雨が降っていたのに、いまはすっかり雨が止んで、綺麗な月が見えている。『東京物語』のなかに月が写る場面はあっただろうか。そんなことを思いながら、小津が『東京物語』を撮った頃の熱海はどんなだったろうかと考える。そう言えば、あの映画の中では年老いた夫婦が、子どもたちに追い出されるように熱海の温泉宿へとやられるのだが、若い客たちの狂騒に眠ることができずまんじりともしない夜を過ごしていたことを思い出す。
たった一枚の月夜の写真で、なんとなく温かな気持ちで熱海の夜を過ごしている。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。
アメちゃん
私も『東京物語』と聞くと、熱海のシーンを思い出します。
別の部屋で宴会してて眠れないんですよね。
で、次の日に海の突堤に夫婦で座ってて
「そろそろ帰りますか」とかなんとかお母さんが言うんです。たしか。
切ないですね。。
でも、田舎から老いた両親が都会に出てきて
老いて頼りない親を見たくないような、なんだか重荷に感じるような子の気持ちも
すごく分かるんですよね。
今は自分が丁度この「子」の立場だから、東京物語は辛すぎて観られません(笑)
uematsu Post author
アメちゃんさん
熱海のシーンはほんとに切ないですね。
で、散歩してる時にお母さんがちょっとふらつくんですよね。結局、広島に帰ってからそのまま亡くなってしまう。
子どもたちからしたら「あの時、熱海にやらずに一緒に過ごしといたら」と思うこともあるだろうし、とか考えると、気持ちがザワザワします。