「描け!描け!」という声が聞こえる間は、まだ大丈夫。
映画『かくかくしかじか』を見た。漫画家・東村アキコの自伝的な作品が原作で、若き日の彼女と絵画教室の恩師・日高先生との関係が中心に描かれている。
映画の中で日高先生は、いつも「描け!描け!」と叫んでいる。竹刀を振りかざし、大声で怒鳴る。描き方を教えたりしない。ただひたすらに描くことを強要する。いまなら、完全にアウトだろう。ときには、女の子に「お前、手が長いなあ。チンパンジーみたいや。お前は今日からチンパン子や」とまで言う。
でも、そんな日高先生のことを、誰も本気で嫌ったりしない。「ひどい!」とは言いつつも、なんとなくみんな先生が好きだ。なにしろ先生の言葉には嘘がない。もちろん、品はないし、気も遣えないけれど、どこまでも真っ正直だ。だからこそ、真っ正面からぶつかってくる先生に、みんなも真っ正面でぶつかっていく。
映画としての評価はさておき、僕はこういう人が大好きだ。「いい人だなあ」と思ってしまう。そして、日高先生の「描け!描け!」と言うグウの音も出ないような一喝が、妙に懐かしい。そういう怒り方をしてくれる大人が、昔はたくさんいた。理不尽だけど、愛情がいっぱい。時には自分勝手な都合で怒ることもあったかもしれない。でも、怒鳴っているほうだってケガをする覚悟で叫んでいたし、受け取るほうも、傷つきながらもその声を受け止めていた。そんな関係が、今となってはとても愛おしい。
もちろん、もうあんな教え方は許される時代ではない。チンパン子なんて呼んだら、大炎上だ。「描け!描け!」なんて怒鳴るのは、教育とは認められない。でも、あのまっすぐなエネルギー、まっすぐな期待は、きっと誰かの背中を押していた。誰かの「生きる力」になっていたはずだ。
それは、「お前なら描ける」と信じてくれた誰かがいたということだと思う。日高先生は、それを怒鳴ることでしか伝えられない、不器用な人だっただけだ。そして、東村アキコはそんな不器用な人が生きにくくなっているこの時代に、何かを伝えたかったのかもしれない。
僕にも、日高先生ほど強烈ではなくても、「描け」とか「書け」とか「撮れ」とか言ってくれた人たちが何人かいた。時々、そんな人たちの声がふっと聞こえることがある。
「どうして書かないの?」
「まだ撮れるんじゃないの?」
そんな声が聞こえる間は、まだ大丈夫なのかもしれない。
中途半端な「いいね」よりも、僕を信じてくれた人たちの怒鳴り声のほうを、いまは信じたい。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。