山を満喫した話
5月最初の週末は、こちらもバンクホリデーウィークエンドで、月曜を入れて三連休。ちょうど誕生日の週だったので、一泊どこかに旅行でもしようかね、という話になった。
ちなみに「バンクホリデー」というのはいわゆる祝日なのだが、国の祝日=「銀行が閉まる日」って言い方が、なんだか即物的で面白いなあと思う。
今住んでいるところの周りにはYorkshire Daleという広大な国立公園があって、前から行ってみたいと思っていた景勝地があったのだけれど、あいにくその週末は、その目当ての場所でマラソン大会が開かれると知って、あわてて撤退。かわりにPeak Districtという別の国立公園に行くことに決めた。ヨークからだと、電車でシェフィールドまで1時間、そこからバスに乗ってホテルのある村まで1時間。車なしでも大自然にアクセスできる交通の便があってありがたい。
それからというもの、毎日子どもみたいに天気予報とにらめっこである。ハイキングをするんだもの、晴れるといいなあ。
土曜日、空は曇っていた(でしょうね!)。シェフィールドからのバスは、たくさんの学生をピックアップしながら町なかを走る。店や学生向けの下宿が軒を連ねる道を抜けて、やがて大きな家が立ち並ぶ郊外へ、19世紀、裕福な中流階級により町が広がっていった歴史がよくわかって面白い。バスの学生たちも、都会の疲れをいやしに山に行くのかな。
町を抜けると、いわゆるMoorといわれる荒地が広がっていた。ヘザーの群生が起伏の多い丘を覆って、いまはまだ暗褐色だけれど、夏には濃いピンク色の絨毯が広がるだろう。それから、バスは絵葉書みたいな牧歌的な風景のなかを走って…といいたいところだけれど、バスの窓は湿気で曇ってよく見えず、途中でたいくつして寝た。
そして目が覚めたところがバスの終点、今日泊まる予定の村、Catstletonに到着した。
Peak District国立公園にはいくつかのビジターセンターがあって、そのうちのひとつがCatstletonにある。そのため村は多くの登山客でにぎわっていた。行き交う人々を眺めていると、本格的な登山仕様の人から、犬を連れたカジュアルな家族連れまでさまざまである。体力とお好みに合わせて、いろんなハイキングコースがあるらしい。モデルルートがいくつか紹介されているガイドマップを買う。2ポンド80セント。
村は、L字型をしたメインストリートが一本あるきりの、絵に描いたようなイギリスの村だった。石造りの家、テインバー様式の古いパブに小さなティーハウス、このあたりの洞窟で採れるというBlue Johnという宝石を売る店。なんだか笑っちゃうくらいイギリスっぽいねえ、とオットと話す。こりゃあ、日本でいったら馬籠宿だな。
一番の目的の山登りは明日にとっておいて、その日は近くのCave Daleという谷に行ってみることにした。例の目抜き通り(といっても一本しかない)から脇道にそれて数十メートルも歩くと登山道の入り口があり、巨大な岩の間をくぐり抜けると……
なんだこりゃあ…。
V字に穿たれた谷底の道が、どこまでも続いている。おそらく氷河がとけて出現した地形で、両側の斜面は、岩山にわずかに積もった土に生えた緑でびっしりと覆われていた。ときどき、やせた灌木があるほかは、荒涼と風の吹き荒ぶ谷である。
妖精の谷だ…。そりゃあ、ゴブリンもホビットの民も住んじゃうわけだ。そんなところを気軽にハイキングなんかして、なんだか申し訳ない。岩壁にはたくさん穴が空いていて、きっと山の中には彼らが住む空洞がたくさんあるんだろうけれど、あんまりじろじろ見ないようにしよう。
谷底の道は、道というよりは小川で、源流をさかのぼって登るような格好だ。こうやって谷ってできていくんだなあ、そして、このごろごろとした岩石が、下流にいくにしたがってだんだん丸く小さくなるんだ。『石ころ地球のかけら』で習ったもん。
だいぶん登ったところで尾根の上にたつと、すごい景色が広がっていた。
崖に沿ってドライストーンの石積みが続き、羊がゆうゆうと崖っぷちで草を食べている。みなさん石積みの外側にいるんですけどいいんでしょうか。見渡すと、遥か谷の向こう側にも羊が点々と見える。羊飼いのにんげんは見えない。夕暮れには、だれか迎えに来るのかしら。
石積みはずいぶん古い。何百年か昔の誰かが、きっと羊が落ちないように石を積んだんだ。それをいまでも使っている。羊、ぜんぜん守ってないけど。
谷底の道はまだまだ続いていたけれど、尾根沿いを歩いて反対側の山肌から村に戻った。起伏のある岩山がいくつも折り重なって、ずっと向こうの高い山の上を、列になって歩く人々が点のように見える。明日はあそこをわたしたちも歩くんだ。
眼下には、ドライストーンウォールのバウンダリー(境界線)と、古い石造りの納屋が見えた。いつかじっさいに見たいと思っていたので嬉しい。「ドライストーンのバウンダリー!」と繰り返しているとオットが「そんなに興味があったなんて知らなかった」という顔をした。異国への憧れはどこにかくれているか、わからないものだ。
翌朝は、どんないいおこないをしたか覚えがないけれど、すごく晴れた。そこではりきってMam Torという山の頂上まで歩いた。
麓から頂上までの道は、なんだかわからないくらいすごいので、もう写真でご覧ください。
Mam Torは標高517メートル、高さでいうと山というより丘なのだが、見た目にはすごく山だ。なぜかというと、ぜんぜん木がない!それでものすごく高い山の頂上みたいに感じるのだ。そして遮るものがないので、自分がいま地形のどこを歩いているか一目瞭然である。
てっぺんまでのぼると、尾根づたいにいくつもの頂を渡ってどこまでも歩いていけるようだった。
この頂上には、3000年前にケルトの人々の定住地があったらしい。二重になった堡塁の形跡が、山肌にはっきりと見てとれる。地理だけでなく、歴史的にももうロマンが飽和状態である。
そして、やっぱり好き勝手に羊がいる。いったいどこからきたんだよ。そしてなぜわざわざ崖にいたいのか。
この雄大な景色を見ながら、「ジオラマ…」という不謹慎な感想が頭に浮かぶ。山肌のそこここにいる羊や人間たちが、まるで小さなレゴを配したように見えるのだもの。
この見渡すかぎり緑の大地は、大自然の営みのうえに、千年以上もかけて人間が手をかけてできた風景なのだ。ここで人間たちが羊を飼い始める以前、山には木々がうっそうと茂ってオオカミやイノシシが繁栄していたのかな。そしてもし羊が草を食べるのをやめたら、また森に戻るのだろうか。ケルトの人たちが見ていた風景は、どんなだったんだろう。
この岩山に薄く張り付いた土の上に、豊かな森がふたたび育つとは想像しづらい。でも、崖下や窪んだ場所など、土のたまる、水気の多い場所にかたまって茂る低木たちを見ていたら、こうやって少しずつ育った木が葉を落として、やがては厚い土が山を覆って、という未来がもしかしたらあるのかもしれない。もしかして、人間がいなくなったあとの千年後に。
でもいまこの大地では、人間も羊も、自然のサイクルの一要素だ。自然ってすごいなあと思うのと同じくらい、この土地で生きる人々の、連綿と続けてきた生活の営みや知恵もまた敬服に値する。
By はらぷ
◆コメントへのお返事(遅まきながら…!)◆
Janeさま
3月にいただいていたコメントに今お返事する無作法をおゆるしください!
おりがみならびに日本文化振興事業(?)やはりJaneさん、経験豊富でしたか(笑)
個性あふれる参加者たちもおもしろい!
向こうのいろんな思惑、こちらの都合、ぜんぶ含めて「いいよー」で乗り切っていくこと、これからもたくさんあるんだろうな。Janeさんみたいにあとで面白い思い出話にできるよう、「なんでもみてやろう」の気持ちです。
しかし、Janeさんのボスキャラ上司はなかなかの曲者ですよ…!のんしゃらんで乗り切るにも手強そうな相手です。どうかストレスためすぎませんように!
saki
あれれ、カリーナさん?違う?
と思ったら、はらぷさんでしたね。
はらぷさんの連載がこちらに載ってしまわれたのかな?
ノルマン時代の城の廃墟、ケルト人の堡塁、時代を感じさせる広大な自然にクラクラしますね。
日本にもそういう場所はあるでしょうが、異国のそれは自分とかけはなれていて、まるで架空の物語のような、ファンタジーを感じてしまいます。
カリーナ
sakiさん
わー。失礼しました!
投稿時に私が間違ってしまいました。
修正しています。
はらぷさんからのお返事は、次回の更新までお待ちください。
よろしくお願いします!