〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、母と娘。ため息とため息のあいだ。
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
「そうそうそうえいば、ご近所の〇〇さんがお亡くなりになったのよ。お庭で倒れてらっしゃったんですって」
昨日の電話で母が言った。
「あなたもね、これから親と会う時は一期一会だと思って、少しはそのあたりのことを考えなさいね」
こういう憎まれ口は、母の得意中の得意だ。「一期一会」の使い方があやしい気がするけれど、広い世の中で母がこの手の憎まれ口を叩く相手はわたしだけなので、わたしはその唯一無二の役割を黙って担うことにする。
黙っている。 わたしはこういうとき、返事をしない。
「まーた、お母さんったらそんなこと言って… 」 ——— そういう言葉のあとに、実母を窘めるような言葉をつぐことも、あるいはその逆に、いたわりの言葉を付け加えることも、わたしにはできない。わたしにそれができないことを、母はよく知っていて、わざわざこちらを困らせるようなことを言う。
あまり意味があるとも思えないおかしな綱引きを、わたしたち二人はずっと続けてきた。46年以上も。ご苦労なことに。所詮どっちもどっちなのだ。強情っぱりで知恵のない、似たもの母娘。。。
この手の屈折したやりとりをしている母と娘が、ほかにいったいどれほどいるものなのか。どこかで調べてくれないかとときどき思う。世の中で目にする母と娘は、みなさん一様に互いを思いやり、やさしい言葉とふるまいでお互いへの情愛を素直に表現しているように見える。
あ、でも最近になって、「母と娘の確執」と分類されるような小説や文章が、かなりの数で目に触れるようにはなってきた。
「 確執 」か… 。うちの場合はそんなに大それたことでも、深刻なことでもないのだけれど。。。
わざと。そうわざと。ねらいすまして。そうねらいすまして。
こちらの粘膜にわざと塩をすり込むような言葉を、巧みに素早く繰り出してくるのだ。母というひとは。
慣れない方なら、「え?そんなに冷たい言い方を?」と驚かれるようなセリフを、母はいともやすやすと口にする。
「ところであなた。お正月はどうするの?こちらにはこちらの予定っていうものがありますからね。さっさとそのあたりの連絡をくれないと、こちらはとても困るんですよ」
上のようなセリフを、母はこの時期毎年口にするけれど、これをこうして文字にしてみると…、なんとまあ、ドラマの中によくいるお姑さんチックなことか。
なんと言うかもう少し、丸い感じの言い方もありそうなものだ。
わたしは今朝もお向かいのおばあちゃんに言われたのだ。「ご実家のお母様がお正月が来るのを首を長くしてお待ちですよ」と。
親子関係が年々ソフトにデリケートに語られるのが主流の「平成」の世にあって、なにゆえこうも「昭和初期風」を貫く必要があるのか。。。因果な母娘だ。
ふと目を移すと、母と弟の関係はこれがいたって「平成風」だ。 母と弟、母とわたし。そこにはどうやら別々の空気が流れているらしい。
しょうがない。。。
最近の小説や著名な方の文章を読んでいると、烈々たる母娘の確執を驚くほど赤裸々に綴っていらっしゃる。おまけにおそるおそる読み続けると、語られる側のご母堂はまだご存命だったりする。
今までなら語られることのなかった水面下の母娘の軋轢というものを、包み隠さず語って下さる勇気には感服するし、読んでいるこちらの溜飲もいくらか下がる思いがするのも確かなことだ。だがその一方で、語るすべのない年老いたご母堂は…と考えると、別の胸苦しさに襲われる。
母には母の憂いがあり、わたしにはわたしの憂いがある。その表現の仕方が平行線なのだから、おそらくこれから先もこの関係に変化はない。
まったく。少し考えればわかりそうなものなのだ。 この先この関係を続ければ、お互いいよいよ息苦しいことになるのは目に見えている。
でもしょうがない。でもこれでいくしかない。
それが腑に落ちただけでも、年齢を重ねた甲斐があると思う。
今年も誕生日が近づいた。
一年の中で、誕生日とお正月を目前に控えた数日がとても苦手だ。あと数日。とりあえずここを脱して齢をひとつ増やしてしまえば不思議と気は晴れる。年々実力を増す「ものわすれ」の力が、今日の日記のことなど、きれいさっぱり水に流してくれる。
「あなた聞いてるの?こちらから贈ったお誕生日プレゼント、あれどうだったの?よかったらよかったって、何とかおっしゃい 」
この関係は…… いつまで続くのだろう。。。
うみ
母との軋轢にきれそうな毎日です。
去年の日記を今頃見つけてのコメントお許しください。
実母だからこそ神経に触る。
はっきり言えば泣いてしまうだろう。
老い先長くないんだから、がまんしてあげるしかないんだ、とわかっていながら、次にまた苦しい我慢をすることがこわい。
きれてしまうこともこわい。
あしたがこわい。
でも、こんな軋轢を抱えているのはわたしだけではないんだと、わかっていても、文字で読むことで少しだけ、ほんの少しだけ、安心しています。
爽子
わたくしも、同じです。
ハッキリ、言ってたこともありますが、すっかりあきらめました。
てごわいです。母。
同居していないので、逃げ場があるので、こんなこと書けちゃうのかもしれませんが。
キレてもいいんじゃないですか?ときには。
神様でなく、人間なのですから。
サヴァラン Post author
うみさま
お書入れ
ありがとうございます。
なんというか
わたしの方が 安心させていただいています。
同じような気持ちを抱えてらっしゃる方がいらしてくださって。。。
先日の「おしゃべり会」の帰り道でも
カリーナさんとおはなししてたんです。
「母と娘って、互いの阿吽の部分が誰より微細にわかってしまうから
余計にやっかいだよね」と。
うみさまの上のおはなし
わたしはなぜか自分の中の「お風呂をこすりながら泣いたあの日」として
「うん。うん。」と拝読させていただきました。
わたしは「お風呂のドアのレールをこすりながら泣いたあの日」から
母の言葉を「遠くに聞く」感覚になった気がしています。
母と娘
お互いにひりひりし続ける粘膜のようなものを抱えていますよね。
この「ひりひり」も
いつか「懐かしい記憶」になるのかしら…とそんなことを思いながら、
少しずつ少しずつ「遠く」に母の声を聞いております。
サヴァラン Post author
爽子さま
うみさんと
わたしへの(勝手にそう解釈)
コメントありがとうございます!
そうなんですよね。
わたしも「物理的」に離れたことで
母との距離感を修正できた気がしています。
若い頃はぶつかりました。
ぶつかったあの日のこと
今でもありありと思い出します。
キレた。
そう、あれはまさしくキレていた。
母はあのとき
こちらが拍子抜けするほど呆気にとられてぽかんとしていた。
母がぽかんとするのを見たのはあれ一回きりです。
いやむしろ今から
母は自分の制御とは別のところで
自分自身にぽかんとするようになるのかも知れません。
わかりません。
いつ
どうなるのか。
わかりません。
そのとき
わたしはどうするのか。
でも
そのときのありったけでいくしかないんだろうなと
今はそう思っています。