ああ、運動会。カメラと肉眼のあいだ。
小学6年生の運動会が終わった。
今年はPTAの当番で、7時45分に学校に行った。正門の開門は6時。体育館の開場は8時。噂には聞いていたけれど、この時点で運動場には場所取りのシートがびっしりと敷き詰められ、体育館前には開場を待つひとの列ができていた。
列の一番前、6時にいらしたとおっしゃるおじいさんが、「毎年毎年、なんでこないなしんどい仕事をじいさんのわしがしなきゃならんのか」と笑いながらおっしゃっていた。
「運動場に場所をとるひとはもっと早い。わしが聞いたひとは、2時に来て10番目と言っとった。そんで6時の煙火があがって開門になると、みんな一斉に走るんじゃ。走るゆうてもたいがいチームで来ちょるから、先発の一人がダッシュで目当ての場所へ行く。次がシートを運んで必要な面積を確保する。みんなそりゃもう真剣。ここで見とるこっちがハラハラしたわ」。
「9時に始まる運動会の前に大人の運動会があったワケですね」「そいうこと。そういうこと」。
うちの6年生の出番は、徒競走、騎馬戦、組体操の三つ。それに審判などの係りの仕事有り。わたしとシュジンの役割分担は、シュジンが記録班でわたしが食糧班。
わたしはこの記録係の仕事ぶりに毎年不満を抱いてきたし、途中でカメラを交代したりもしてきたけれど。今年はすっかりシュジン任せ。おまけに多くを期待していない。ひとは学習する生き物である。これは、撮る側にも、任せる側にも言えること。
徒競走。わたしはシュジンと離れたゴール付近で見ていたのだが、競技が終わってシュジンが口にしたことは、「いかん。たろうが映っているかゼンゼン自信がない」。
わたしが毎年ダメ出しばかりするので、そのこともプレッシャーになったとシュジンは言った。目印になるものがひとつもなくて、いくら望遠で見ていてもあの中から自分の子を探すのは難しすぎる、とも。
背中の肩甲骨から首、そして後頭部へのライン。赤白帽からのぞく襟足の髪の感じ。そのあたりがあの集団からたろうを探す手がかりなんだけど。
シュジンのビデオにたろうがおさまっていなかったとしても。わたしは肉眼でばっちり見たので、今年はもう不満はないぞ。
昼食時になって、体育館は満員御礼。びっしり敷き詰められた敷物の上に、色とりどりのお弁当ととりどりのご家族の顔が並ぶ。
「この辺りはね、運動会とかお正月とかひとが集まるときには寒天を作るの。甘くてお箸で食べられるような寒天」。噂の寒天をお隣のシートのおじいちゃんが召し上がっていた。そうか、あれが寒天か。
1000人規模の小学校は、今どき珍しい大きさらしいが、体育館のあそことあそことそれから向こうに、知り合いのママ友の顔が見える。
みんな、いつもと少し違う顔をしている。それは、妻の顔だったり、嫁の顔だったり、いつも以上の母の顔、だったりする。
結局わたしは、幼稚園と小学校の一度も名古屋から義父母を運動会に招くことをしなかった。実家の両親ははなから来る気はない。お義母さんは、声を掛ければ喜び勇んでテンションマックスで来られたはず。そのテンションマックスが怖すぎて。。。いつもビデオ報告でごめんね、お義母さん、と賑やかな大家族のお隣で3人のお弁当を広げながら思う。
そう言えば、離婚をした東京の従姉が歯軋りをして言っていた。従姉の子の運動会で、離婚相手のご両親が突然観覧にいらしたと。事前に何の連絡も受けていなかったけれど、子どもはおじいちゃんとおばあちゃんが来てくれたことが嬉しくて嬉しくて、クラスの友だちに二人を紹介してまわったらしい。従姉自身は、あんなに苦い思いをした運動会はなかったと、子どもが大きくなった今も、この季節になると思い出すらしい。
大勢の家族の中には、それだけ多くのドラマがある。
組体操は前日に予行があり、父兄にその観覧の案内があったので、わたしは本番前に見に行っていた。「おかあさんが前日練習を見にくるなんて珍しいね」と、たろうは言った。
組体操はね、泣かされちゃうわよ。上にお子さんのいるママ友の言う通り、気楽なつもりで出掛けた前日リハーサルで鬼の目にも涙を地でいってしまった。
目の前の6年生の姿には、1年前、2年前…幼稚園時代からの残像が多重写しに見える気がして、うれしいようなさびしいような、複雑な感情がグラウンドの子どもたちの姿をぼやけて見えにくくした。
「組体操は、途中で隊形が4パターンで変わりますから、そこをどう捉えるか、6年間の集大成ですよ!カメラマンさん!」。
シュジンにアドバイスという名のプレッシャーをかけて、わたしは本番の子どもたちの姿を、前日とは違う遠景で見られる場所に陣取った。あのあたりにたろうがいる。それで十分な気がした。夏休み明けからの連日の練習で、子どもたちは同じ色に日焼けしていた。先生方も、同じ色だった。
カメラやビデオを手にしてしまうと、いつもどこかにもどかしさがあった。こと、我が子を記録にとどめようとすると、親はどうしても「編集」の目線で自分の子だけを見てしまう。名古屋で見るおじいちゃんおばあちゃんにもたろうがたろうと探せるように。5年語10年後にも、たろうがたろうとして見られるように。。。
いっそカメラを置いてしまえば。。。カメラやビデオのない時代の親御さんは、肉眼という「引き」の目線で自分のお子さんを見ていたし、そのときそのときを「一度きり」のものとして、記憶に活写してきたのかも知れない。
純粋に見たい。。。そんなことも思ったりした。
お夕飯のときにたろうは言った。「お父さんが徒競走を撮り逃してくれて、ぼく命拾いしたよ」。
「あら。おかあさんは、あんたがコーナーのところで順位をひとに譲ったのをばっちりこの目で見てたわよ!!」
「たろう、おとうさんのカメラからは逃がれられても、おかあさんの目からはゼッタイに逃げられん。諦めろ」。
ぶんぶん8
こんにちは。
うちも先日中学校の体育祭が終わりました。
上の子はもうそういう行事とは縁のない大学生なので、”あと何回こうやって『運動会』のお弁当を作るのだろう”と、思わず数を数えてしまいました。
高校は学校にもよりますが、親と一緒のお弁当を囲まないところも多いようですし、最初っから親なんか来ない学校もある様子。
となると、もしかしたら、こういうお弁当も今年と来年の2回で終わりかも...。
そんなことを考え、今年は前日から準備をし、当日の朝も3時半に起きました。
写真やビデオに関しては、もう始めっから手離しています。
自分の目に焼き付ける、をモットーに、保育園時代のお遊戯会とかもカメラは構えず。
本番が終わった後のお友達と一緒の写真などは撮ったりしますが。
でも、お友達のお母さんが時々うちの子が写っているところをダビングしてくれたりしたのを見ると、
”こうやって映像で残っているのもいいもんだな”と思ったり。
まさに、カメラと肉眼のあいだ...です”(-“”-)”
サヴァラン Post author
ぶんぶん8さま こんにちは。
コメントをありがとうございます!
運動会のお弁当、わたしも残りの回数を数えはじめました。
とはいえ、うちは一人っ子ですから
ぶんぶん8さんのようにお二人あるいはそれ以上
お子さんがいらっしゃるおかあさまと比べれば
「生涯運動会お弁当作成数」が、はなから違うわけで。。。
運動会の朝は、2階の窓からご近所の明かりを確認します。
ひとつ、またひとつ、キッチンと思しき場所に明かりが灯るのは
なんだか同士の勇志を見る思いで「よっしゃ」と気合が入ります。
それにしてもぶんぶんさん
3時半はすばらしい!!!
子どものイベントって、記録をどうするかも悩ましいですね。
わたしも、ぶんぶん8さんのように
「本番最中は機材OFF!」がいちばんいいと思います!!
写真にしてもビデオにしても
結局「その瞬間を見る」ということに専念できませんもの。
とはいえ、ちょっとぐらつくんですよね。
「今」と「未来」。カメラと肉眼のあいだで^^