第182回 自分の記憶が怪しい。
まゆぽ:
自分の覚えてることと、人の覚えてることが違ったり、
思い込んでたことと、事実が違ったりってこと
最近やたらにあるんだよね。
この間、古い友だちと話してた時、
その子は一緒に大型バスでスキーツアーに行った帰り、
渋滞にはまり込んでバスが動かず、
私がトイレに行きたくて身悶えしてたって言うんだけどさ、
全く記憶にないの、わたし。
むしろスキーツアーの帰り道って言うと、
ドライブインでパスタ食べたら喉につっかえて
息ができなくて、みんなに背中をどんどん叩いてもらって
危うく息を吹き返したことを覚えてるのに、
彼女はちっとも覚えていない。
記憶ってさ、それぞれの中で勝手に改ざんされたり、
濃淡ができたりして変わってしまうのかな。
つまみちゃんはそういうのない?
つまみ:
記憶、ふしぎだよね。
自分にとってはビックイベントなのに
そのとき一緒だった人が覚えてないと傷ついたりもするよね。
前に言ってるかも、だけど
高校時代、私が古典の先生にミカンをぶつけたことになってるんだけど
そんな記憶はまったくないんだ。
私、おとなしい方だったし、その先生も嫌いじゃなかったから
最初は「そんなことしてないよ」と笑ってたんだけど
複数の人から「まったあ。ぶつけてたじゃない」と言われ
怖くなりました。
何度も言うけど、まったく記憶にない。
あれはなんなんだろう。
年々、日常の自分の記憶は怪しくなるばかりだけど
自分に信頼が持てないせいか、わりと先回りして自分をフォローしてない?
あれ?もうやってたじゃん、とか、メモをていねいにとってるってことに
あとでビックリすることがけっこうある。
やったこと、メモとったこと、を忘れてるんだけどね。
あと、桂米丸師匠がご存命だと最近知って驚いた。
とっくに亡くなっていたかと。
申し訳ない。
歌丸さんと一緒に亡くなった人にしていたかも。
まゆぽ:
ミカン事件、記憶してる人複数だと、
自分の記憶を疑っちゃうよね。
無意識に封印してる記憶なんだろうか…なんて。
でも、事実はもう霧の彼方で誰も知らない。
ならせめて、自分は自分の記憶の味方になりたいと思う。
妙に記憶力のいい友だちがいてさ、
何回か喧嘩してるんだけど、いちいちその原因を覚えてるんだよ。
「まゆぽが××って怒って勝手にへそ曲げた」とか。
結局、今も友だちだから仲直りしてるんだけど、
わたしは喧嘩の原因をちっとも覚えてないから、
わたしが悪いみたいなことになっててムカつくわけ。
でも、とにかく喧嘩したことさえ忘れてるから、
自分の記憶の味方をしようにも、肝心の記憶がない。
記憶ってやっぱり大事だわ。
名前が似てる人とか、同じ業界で同じような立ち位置の人って
生死から、スキャンダルから、みんな混ざってる。
どっちかって言うと、死んだと思ったら生きてた方が驚くよね、米丸師匠。
つまみ:
ミカン事件は、「それでも私はやってない」と
加瀬亮よろしく冤罪を訴えたいところだけど
考えてみると、ミカンぐらいならまだしも
痴漢となると、記憶が怪しいとか言ってらんないね。
それにしても、まゆぽさんがさらっと書いた
「何回も喧嘩してる」に反応しちゃう。
私、友達と喧嘩なんてしたこと、ほぼないよ。
負の感情があっても、一回は我慢して
ダメだと思ったら連絡を絶つ。
そのうち、記憶が怪しくなって
連絡を絶った理由を忘れて「ご無沙汰~」と電話したりするのかな。
でも、それもいいかもね。
記憶って、ある意味、自縄自縛作用があるから
完全に解放されれば生きやすいんじゃない。
知らんけど。
まゆぽ:
そうだね、記憶に縛られすぎず、
適度に解放されること、大事かも。
嫌なことまで全部覚えてる人生と
いいことも全部忘れちゃう人生だったら、
どっちがいいかというのは難しい問題だから、
適当に忘れて、適当に覚えている今の人生が
一番いいかもしれないよって結論で、
よろしいでしょうか?
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なお、今回の画像「雨の日」は知津子さんのお弟子さん2人が
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