◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第60回 生まれなかった子の年を数える
東日本大震災から何年か経った頃、被災者がインタビューを受けているテレビ番組を見た。真剣に視聴していたわけではなく、テレビをつけたらたまたまやっていて、震災以降の習慣になっていた「東日本大震災に関する番組を見かけたらとりあえずしばらく見る」を実行したのだった。
今、思うことは?的な質問に、母親と家を失ったという女性が、できれば一生味わいたくない、まさかこの自分がそんな目に遭うとは思わなかった経験をして、経験は人を成長させるという人もいるが、成長なんてしなくていいから、つらい経験もしたくなかった、というような回答をしていた。
細かいところは間違った記憶かもしれないが、だいたいそういうようなことを言っていた。印象的だったので十年近く経った今も、ここに書くほどには概要を覚えている。いや、概要を覚えているのは、その発言を聞いたとき、自分も同じように思ったことがあるとハッとしたからだ。
昭和から平成に年号が変わってひと月ちょっと経った2月の末、定期健診でお腹の中の赤ちゃんの心音が聞こえませんと言われた。予定日の5日前だった。予定日はひなまつりで、女の子とわかっていたので「祝福じゃん」と縁起よく思ったものだった。結婚7年目、待望の妊娠だった。経過はおおむね順調で、少し貧血気味になったが、懸念材料は特になかった。
予定日の2か月前に迷いなく会社を辞めていた。仕事とアイデンティティを直結させるタイプでもなく、こどもが生活にやってくることを最優先に思ったのかもしれない。そもそも実現しなかったのですべて机上の空論だが。
そんなわけで、5日前にすべての予定が潰えた。今後のことを考え(結局、今後はなかったが)帝王切開ではなく「お産」で死んだ子(←言葉の強さ!)を取り出したのだが、通常のお産と違い、痛みに耐えるモチベーシがなかったのもキツかった。
緊急で入った見ず知らずの病院は、なじみがなかったせいか時代のせいなのか、医師や看護師はおしなべてクールで、お産のあとのもろもろの医療的ルーティンは、めでたく出産した人たちと一緒にやらされた。入院した部屋(個室)の隣の大部屋からは、彼女たちの笑い声や赤子の泣き声が聞こえてきた。その声を聞きたくなくて一日中、見たくもないテレビをつけていた。朝ドラは「純ちゃんの応援歌」だった(時代!)。
できれば一生味わいたくない、まさかこの自分がそんな目に遭うとは思わなかった経験をして、経験は人を成長させるという人もいるが、成長なんてしなくていいから、つらい経験もしたくなかったー。わたしもそう。本当にそう思ったし、今も思っている。
月日は流れ、30年以上になる。災害や事故や病気に見舞われた人の多くが「どうして自分なんだろう?」と思うように、理不尽な気持ちも残っているが、言っても古傷だ。
なのになぜいまさらこんなことを書く気になったかというと、最近、こどもはいるのかと聞かれ、一瞬躊躇してしまったからだ。長年ずっと、迷うことなく「いません」と答え続けてきたのに、なぜこの期に及んで躊躇したのか。「いません」と即答するということは、あの昭和最後中心の十月十日の、腹のなかを含む自分を丸ごとなかったことにするということだからだろうか。でもそれだったら、どうして今までは「いません」と言っていたのだろうか。
たぶん、ようやく気がついたからだ。忘れそうなことが、なかったことになるのが淋しいってことに。自分が忘れたらなにもかもが消えてしまうことが少し残念なのだ。
「こどもは?」と聞かれて「いません」と答える人はたくさんいるだろうが、背景は多種多様で、わたしのように、妊娠はしたが生きて生まれなかった親予備軍に限ってもいろいろ、本当にいろいろあると思う。病気や事故、災害でこどもを亡くし、断腸の思いで「いません」と言うしかない人もいるだろうし、こどもは生きているのによんどころない事情で「いません」と答えるしかない人だっているかもしれない。
古傷だって抉られれば痛い。抉りたくない。だから「いません」でその場を収めてもいい。ただ、「みんな、つらいことがあっても我慢しているのだから自分もそうしなければ」でなくていいと思うようになった。こどもがいないと表明することに躊躇したなら、その理由を説明したっていいじゃないか、と。そんな暗い話をされても‥という顔をされたら、暗い話ではありません、本当の話ですと言ってやればいい。
今度「お子さんは?」と聞かれたら、
「予定日5日前に亡くしました。1989年のことでございましたよ。そう、はるか昔の話になりますねえ。生きていれば34歳。そりゃあねえ、死んだ子の年を数えるなとは申しますよ。申しますけれどしかたないじゃあござんせんか。月日と記憶は同じ歩みじゃありませんからねえ。とにかくね、たとえこの世に生は受けなくても、最初からいなかったってことになるのはちと寂しいもんだってことに、最近気づいちまったんですよ。お含みいただけますか」
とでも言ってみようか。イメージは寅さん。ま、言わないけどね。
by月亭つまみ
そな
いつも更新されるのを楽しみしてます。
今は2児の母ですが、その前に感染症で破水して助けられない子を産んだ事があります。その時にこんな辛い経験はもうしたくないし、誰もして欲しくないって思いました。予定日直前だなんてつまみさんはもっと大変だったでしょうね。想像するだけで胸が締め付けられます。
産まれてきた子は愛おしく可愛かったし、お腹の中にいた時の幸せな時間も忘れられません。同じ学年の子を見るとこんなお兄ちゃんになってたのかなって思います。そんな経験をしてても、つまみさんがおっしゃる通り「いません」で話をしてる人も沢山いるんでしょうね。
お腹にいたあの時をなかったことにしたくないって文を読んで思わず長くなってしまいました。すみません。
つまみ Post author
そなさん、コメントありがとうございます。
内容が内容なので、近い経験をされた方の傷まで抉るのではないかという迷いも少しありましたが、自分によぎった意外な躊躇は、もしかしたらわたしだけではないのかもしれない、呆然自失や悲哀や怒りや諦めの気持ちを経て、忘れたい、なかったことにしたい、という時期も経験したからこその「あれ?わたしが忘れたら本当になかったみたいじゃん」の寂しさや焦燥、を書いておきたい、と思いました。
ですから、「思わず長くなってしまいました」と書いてくださったことが、書いたことを肯定していただけたようでとてもうれしいです。
今後とも、よろしくお願いします。
そな
つまみさんが様々な思いや、長い年月を経て気付いた事を今回書いてくれたので、私はこれからもどうしたって忘れられないし忘れなくていいんだなって思えてよかったです。母もすでに亡くしてて孫を抱かせることが出来なかったのですが、それも自分の中で引っかかってるらしく元気な姿の母と子供たちが楽しそうな夢をよく見ます。
子供の学校の図書室に、つまみさんみたい先生いたらいいなって思っていつも読んでます。お世辞じゃなく本当に思ってるんですが、つまみさんきっかけで本が好きになった子沢山いるんだろうな。もっと好きになったって子も。子育てして改めて読書や自分で調べる力をつける事の大切さを実感してます。なのでつまみさんみたいな先生に巡り会えた子達羨ましい!
読書だけでなく、ドラマやラジオなんかも好きなのでこれからも色々な話読めるのを楽しみにしてます。
今までの分つまみさんに思いぶつけたし、静かな読者に戻ります(^-^)
つまみ Post author
そなさん、望外な数々のお言葉、本当にありがとうございます。
偉そうなことを書いても、ルーティンに追われまくるばかりの学校司書ですが、そんな風に書いていただけることに恥じないよう、褌の紐を引き締め直します!?
そんなことをおっしゃらずに、またなにかありましたら、ぜひお声をかけてください!!