◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第63回 たゆたう現状維持
若いころ、記憶は古い順に薄れていくものだと思っていた。印象的な出来事は別としても、日常のそれは、新しいものに上書きされて消えていくのかと。が、とんでもなかった。感覚としてはむしろ逆。古い日常こそ薄れず、新しいものが駆逐される感じ。周囲の中高年以上もこぞって言う。「昔のことは忘れないよね、最近のことは覚えられないのに」と。
だから安心していた。わたしだけじゃないと。脳内の記憶庫には既得権益のようなものがあって、最初の方に棲みついた記憶は、コトの大小にかかわらずデカい顔をしているものなのだと。でも、ここ数年、人と話していて違和感を覚えることが増えた。わたしの記憶庫に棲みついてる古い記憶の顔、いくらなんでもデカ過ぎないか?
友人知人と昔の話をすると、よくそんなことを、そんなところまで覚えているねと驚かれる。そう言われると、あれ?みんなそうじゃないの?とこっちが驚く。
むかし住んでいた家の壁のキラキラを星に見立てた一人遊びの一部始終、週刊少女フレンド表紙の高見エミリーの巻き髪と八重歯とワンピースの柄、中学校の自転車置き場のトタン屋根のペンキの剥げ具合とやけに連動している友達のコイバナの細部、月刊平凡と月刊明星、スクリーンとロードショー、ananとnon-no‥(要するに、先発の老舗雑誌VS後発集英社)の写真と紙質と記事の切り口のちがい、1970年代後半の夜12時台のニッポン放送番組のラインナップとその音楽やCM、つかこうへいの演劇などで足繫く通った紀伊國屋ホールのロビーのにおい‥それらは今でも鮮明に自分のなかに在る。居座ってると言ってもいい。
そういえば、大人になって装丁家、平野甲賀さんの独特のフォントを見たとき、これ、昔どっかで見てる!と思ったのだがのちに腑に落ちた。1960年代後半~70年ごろ、NHKでやっていたこども科学番組「四つの目」だ。あらためて見ると、似ているだけでたぶん違うのだけれど、画面いっぱいの番組タイトル名の字の雰囲気が自分にとっては、その後知った平野フォントと相似形だったのだ。
誰しも、それぞれの「薄れない古い記憶」があるとは思う。わたしなんかより克明に記憶し意識している人がいるかもしれない。それでもときどき、自分は古い記憶に囚われ過ぎているのではないか、そのせいで新しいものをなかなか受け入れられないのではないかと思う。なんなら、まあそれでもいいかと思う。
いやいやいやいや。まがりなりにも自分も社会生活を送っている。知って心から「ああ、知らないまま人生が終わらなくてよかった」と思うこともあるし、ガラパゴス化‥ならまだしも、化石化(山本山みたい)していく自分もあんまり楽しそうじゃない。‥ということで、誰かわたしに本当に必要な新しい記憶を植えつけてくれないものか。
理想は、最近再読したオードリー若林正恭/著『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』に登場する家庭教師だ。若林さんは、ニュース番組を見ても全く理解できない自分が恥ずかしくなって(本当はもっと叙情的な理由もあるのだが、それは後半に明かされるので書かない。気になる人は読んでみてください。いいですよ!)40歳のときに東大の大学院生を雇い、ニュースを解説してもらったり、自分の疑問に丁寧に答えてもらう、というのを始める。場所は主にカフェなので、家庭教師ならぬ、カフェ教師。
わたしもカフェ教師がほしい。そしてWikipediaなんかで知った気になっているうわっつらな世界を一度ぶっ壊して知り直したい。カフェ教師には、丁寧に、呆れず、でもなんなら、こちらが委縮しない程度にはクールに世界を解説してほしい。年齢は問わないが、古い記憶しか残っていないというわたしにあまり共感してくれない人がいい。共感されたら、すぐつけ込んで甘えそうから。そういうタイプだから、わたしは。
そんな妄想を抱く自分はいったいどこに行こうとしているのか。いや、正直どこにも行きたくないのだ。でもそれは不可能だし、ふてくされて「自分は治外法権」を気取るみっともなさ(というより、はた迷惑さや自己嫌悪「勾配」)は容易に予測がつくので、こんなことを考えているのかもしれない。不動にもアップデートが必要なことくらいわかってるぞ、みたいな。
なにしろ、この期に及んで今年の自分の目標は「現状維持」だったりするわけで、自分へのツッコミとか、実際に現状を維持するための方策とか、いろいろな思いが乱れ飛んでいる現在の自分の頭の上(&中)なのである。なのでこの状況、「たゆたう現状維持」と命名するのはどうだろう(誰に聞いてる?)。
というわけで、今年のわたしはやっかんでるヒマはないのだ‥って、タイトルを全否定してしまった。どうなることやら。
by月亭つまみ
Jane
つまみさんは今でも記憶力いいと思いますよ。だって、ザツダンで誰かが前にした話してると気づくのはつまみさんなことが多いですもん。
家の壁のキラキラを星に見立てた一人遊び、私もやってました。星座つくって。降る雪を一瞬視界の中でストップさせて、それをつないでシンデレラのカボチャの馬車に乗って学校へ行くという事もしていました(遅刻しそうで走っていた時)。走っているのは私じゃない、馬車なのだという、柔道物語の「この額は俺の物じゃない」作戦と同じで、苦痛を忘れられました(走るの苦手)。
あとの写真入りの昔の雑誌や今の本は、まったく知りませんでしたが、かろうじて、これがゴローかというのは分かりました(名字が野口だということを思い出すのに半日かかった)。郷ひろみや西城秀樹は記憶が上書きされてきていたんですけどね。
okosama
つまみさん こんにちは!
記憶したことはアウトプットすることで定着するって何かで読みました。
ポッドキャストでよくアウトプットしてらっしゃるので、つまみさんの70年代の記憶は薄れることはないはず!
個人的にはアイドルだけでなくドラマ「天下御免」の話が聞きたいです。私はうっすらしか思い出せないので。
つまみ Post author
Janeさん、こちらでもコメントありがとうございます。
ザツダンの記憶力‥実はこれにはカラクリがあって、文字起こしをしようと思って、聴き直しているものもけっこうあるのです。
きっと、ミカスさんやカリーナさんはしていないので、それで気づくのはわたし、というのが多いのだと思います。
おおっ!Janeさんの妄想(?)、わたしよりずっとクリエイティブ!
走っているのはわたしじゃない‥いいですねー。
わたしはよく脳内キッチンでお料理をしていました。
そのわりにまったく料理好きにはなりませんでした。
あれ、なんだったんだろう。
岐阜にある野口五郎岳という実在の山から芸名をとった彼の本名は佐藤靖です。
特にファンではなかったのにこんな情報はソラで言えます(^^;
つまみ Post author
okosamaさん、こんばんは。
ホント、このトシになってこんな形で定期的にアウトプットすることになるとは‥人生、わからんもんですね。
天下御免、真剣に見ていたつもりですが、まだら記憶です。
突然、画面が現代になることも珍しくない、斬新なドラマで、子どもにとっては新しい時代劇で新鮮だったのだと思います。
平賀源内という存在がとても魅力的で、その後も本を読んだりしました(児童書ですが)。
ドラマでは坂本九の杉田玄白がぴったり!と思って見ていましたが、杉田玄白の何を知っていたのか、何をもって「ぴったり」だと思ったのかはまったくわかりません。
林隆三と中野良子という、1970年代前半的トレンディ俳優もいい味出していました。
今、見たらどうなんでしょう、天下御免。
アメちゃん
つまみさん、こんにちは!
芸能人の記憶でいえば
やっぱり昔の人の方が個々に存在感があったと思うんです。
みよちゃんはともかく、歌もうまかったですよね。秀樹もゴローも。
平成以降の歌手や俳優って、どの人もなんだか薄味で
私なんか自宅にテレビを置いてないから
(せっかく脳ベルを教えてくれたのに……見られなかったんです・泣)
今の若い俳優や歌手のことはよく知らないし
顔を見たところで、皆、こざっぱりとして雰囲気が似ていて
だから上書きされないのかなぁと思います。
中村雅俊の学園ものとか、昔のドラマも良かったですよね。
【つまみさんに業務連絡】
ポッドキャストで読んでいただいた駅でのタブ純との遭遇話。
あのあと、『音楽の黄金時代』にリクエスト曲(竹内まりや『駅』)とともに
メッセージを送ったら、採用されて!
タブレット純にあの話を読んでもらいました〜(嬉)
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんにちは。
昔は、ザ・芸能人でしたよね。
地方に住んでいたせいもあるでしょうが、およそ手が届かない、雲上人みたいな。
今、テレビの歌番組なんかを見ていても、みんなイヤホンをしていて、そこから演奏を聴いて歌っているみたいですが、昔は、生音を生耳から聴いて歌っていましたよね。
雑音もちょっとしたタイムラグもあっただろうし、大リーグボール養成ギブスをつけてるみたいな、技術の向上があったのかも、と思ったり(極論の上に、比喩が古すぎる)
中村雅俊の学園ドラマ、世代がドンピシャだったので、感情移入して見ていました。
涙は心の汗とか、夕陽に向かって走るとか、しみじみ思い出します。
それにしてもな、なんと!!(゚д゚)!
タブ純のラジオでメッセージが採用されたのですか!!
す、すごい!!
なんだかすっごく羨ましい!
あのエピソードにリクエストが「駅」って、もう採用に決まってるじゃないですか。
音源、聴きたいなあ。
探してみようっと。