50代、男のメガネは近視と乱視とお手元用 ~高倉健に憧れて。
高倉健に憧れて。
不器用ですから。
そうつぶやいて、少し照れながら相手の話に耳を傾ける。目の前に自分の好みの女がいても、我先に声をかけずに、相手が振り向いてくれるまでじっと待つ。ダメならダメで、好きな酒をグッとあおって、黙って店を出ればいい。
そんな、高倉健のような男になりたい、と憧れた日もあったのに、こちとら関西生まれの関西育ち。我が我が(わががわがが)の自己主張の強いヤツらの中で育ったおかげで、大声を張り上げてきたなれの果て。じっと相手の話に耳を傾けるよりは、自分のことを声高に話し続け、相手を辟易とさせることばかり上手くなる。ちょっとは脈があると思った女の子の話も聞かずに、最後の最後に「ごちそうさま」と体よく逃げられる。
同じ男として生まれてきたのに、この差はなんのかと、何年かに一度は振り返り、先を見て、嗚呼、とため息を吐く。深く広く長く、嗚呼、と吐く。
考えてもみれば、黙ってじっとしていられるほど、確固たる何かを見つけてもいなければ、明日を見すえているわけでもない。目の前のあれやこれやに、右往左往するのは当然と言えば、当然なのだが、子どもの頃に植え付けられた「男と言えば、高倉健」という、いま思えば少し古い価値観が見事には刷り込まれてしまっている。
同時に、父や母の世代に比べればましだといっても、まだまだ「男なんだから」「女なんだから」と、性差による育て方の違いを実践されていた世代でもある。 中途半端に男らしさを演じ、これまた中途半端に男女平等やレディーファーストを実践させられてきた世代でもある。 そう簡単に、チャラい男になれるわけがない。
と考えると、何から何までお膳立てができた映画の世界と違うこの現実世界では、僕らの方が高倉健よりよほど不器用で、よほど気の毒だと、自己憐憫にふけったりもできるのだろうけれど、さすがにそんなところを他人様には見せられない。時折、思い出したように、ヨメに用事を頼まれているのに「不器用ですから」と返して「はいはい」と軽くいなされてしまう。
なにしろ、ほんとに、驚くほどに、不器用ですから。
植松眞人(うえまつまさと)
1962年生まれ。A型さそり座。
兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。
現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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