50代、男のメガネは近視と乱視とお手元用 ~ カフェ小景
カフェ小景
おしゃれなカフェに行くことがある。場末の煙草のヤニですすけたようになっている喫茶店も
それなりに好きなのだが、もう十年も前に煙草をやめてしまった身としては、他人の煙草の匂いだけを嗅がされるのも少し辛くなってきた。
そんなわけで、美味しいコーヒーと禁煙の環境を求めると、自然におしゃれなカフェになってしまうことが多い。
おしゃれなカフェにもいくつかのカテゴリーがあると思うのだけれども、いちばん気が楽なのは、なんとなく好きなインテリアでまとめてみたら、おしゃれなカフェになってしまいました、という
パターン。そして、もう一つは、必要なものだけを置いてみたらシンプルでおしゃれな感じを醸し出してしまいました、というパターン。
この二つのパターンは、なかなかに好ましい。好ましくて、しかも、落ち着いた時間を過ごすことができる。
で、苦手なのが、おしゃれなカフェを目指しました、というパターン。これはなぜかすぐにばれてしまう。どこか、物真似が入っていたり、絶対に好きでも何でもないけれど、これを置いたらおしゃれだと思われそう、という小物が置いてあったり。もう、恥ずかしくて仕方がない。
あ、もう一つ好きなパターンがあった。一生懸命に自分の好きなものを集めて店に飾っていくうちに、自分の趣味が表に出すぎて、とっちらかって、まとまりがなくなってしまったカフェ。これはこれで、なかなかに愛すべきスキだらけの感じが好ましい。
ここで話は変わってしまうのだけれど、カフェにいくとよく目にする女子がいる、と僕はかつてから主張している。どんな女子がいるのか、と言われると『脱皮したてのザリガニみたいな女子』と答える。
この『脱皮したてのザリガニみたいな女子』は、なんだか色白で、なんとなくおしゃれで、大人しそうで、よく本を読んでおり、時にはベレー帽などもかぶり、ほんの少し体温が高そうで、動きが他の人よりも緩慢で、ほかほかと湯気が上がっていそうな、そんな感じ。まるで脱皮したてのザリガニのように、まだ殻が柔らかくて、つかむとプニプニしてそうで、ちょっと大きめのカップでカフェオレなんかを飲んでいる。
と、こういう女子がおしゃれなカフェには必ずいるよね、と僕が言うと、「いる!」と膝を叩く人と、「そんな人いるかねえ」と懐疑的な人とにわかれてしまうのだけれど、どうなのだろう。僕はかなりの確率でそんな『脱皮したてのザリガニみたいな女子』に遭遇していると自覚しているのだけれど。
以前、渋谷の外れのカフェに飛び込みで入ったときに、先客で『脱皮したてのザリガニみたいな女子』がいた。「このプレートに使っているお野菜は無農薬なんですか」とか「ミルクの味が
濃くっておいしいです」とか、質問をしたり、感想を言ったりして、店の女性店員と楽しそうに話を弾ませていたのだった。でもまあ、その受け答えをさせられている店員さんは大変だろうなあ、と思いながら、その様子を眺めていたのだった。
しばらくして、『脱皮したてのザリガニみたいな女子』が帰っていくと、思わず僕はその女性店員に、「この商売も大変でしょうね」と声をかけてしまった。すると、その人は、「そうなんです。今のお客様も『カフェって素敵ですね。楽しそうですね』って言うんですけど、それは最初のうちだけで…」と話し始めたのだった。
その人は、当時40歳。OLをやめて、親の遺産をつぎ込んでカフェを始めたオーナーさんだったのだ。店を始めて2年半。共同経営者のとんずらや、店の大家とのもめ事、価格設定のミスからくる価格改定で客足が衰えたこと…。もう、話は尽きず、平日午後のおしゃれなカフェはまるで貸し切りの人生相談室と化してしまい、帰るに帰れなくなった僕は数時間、カフェオレを何杯も無料でおかわりしてもらいながら、人生相談に乗っていたのだった。
そして、おしゃれの水面下で、激しく足を動かしている不憫な白鳥は、それからしばらくして店をたたむのであった。
その時、僕は思ったのだった。人生相談に乗らせながらもカフェオレを一杯一杯ちゃんと課金するような人だったら、きっと店を立て直すことができただろうに、と。ああ、やっぱり優しさは愛じゃないんだろうな。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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