〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、マイホーム。妄想と現実のあいだ
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
山形から山口へ。越して来た夏も暑かった。移動が決まったのは5月。住まいの選択肢は驚くほど限られていた。
8月初旬の引っ越しのあと、12月に子どもが生まれる予定だったので、ともかく日常生活の利便性を優先した。あの頃はまだ、子どもの幼稚園や学校のことなど、具体的なイメージの中に組み込むことができなかった。またすぐどこかへ異動になるかも知れないし…。ともあれ、どうしても、住まいを探す必要があった。
引っ越し当日、お隣だとおっしゃるおばあちゃんが、お水のペットボトルやお手製のお豆ごはんのおにぎりを持って来てくださった。「こういう時はねお互いさまですよ。これからはご近所なんだしね。遠慮はご無用」。さばさばとしたおばあちゃんはお一人住まいでいらっしゃるとかで、段ボールの迷路をぬって、お水とおにぎりの包みを台所まで運んでくださった。
もうひとつのお隣は、もともとお年寄りのご夫婦が住まわれていたけれど、今はお二人とも施設に入られ、長いことお住いではないのだと話された。「うちもね、わたし一人でしょ。わたしはお花が好きで、ベランダにも玄関先にも植木鉢をたくさん置いてるの。でもあれ、息子がいい顔しないの。最後は誰が片付けるんだって。鉢がひとつ増えただけでもうるさく言うのよ」
「こっちのお隣は、わたしはよく知らないの。なんだか変な動物を飼ってるみたい。このマンション、動物はダメなはずなのにね。マンションってダメね。中のひとが入れ替わってしまって。分譲だなんだっていっても、結局今は賃貸のひとと半々よ。玄関のオートロックもよしわるし。この間も下の階に警察が来てたしね。そうそうわたし、〇〇町のスポーツジムに行ってるの。奥さん仕事されるの?されないんなら、あそこのジムいいわよ。わたしなんか昼間はずっとジムにいるくらい。あら、初めての方にこんなにおはなししてしまって。ともかく、何かあったら声かけてくださいね。お気遣いはご無用よ」
屈強な引っ越し業者の男性たちと入れ替わりで、小柄なおばあちゃんは帰っていかれた。台所からひととおり、素早い視線を室内に走らせながら。
マンションの9階。生まれたての乳児との見知らぬ土地での新しい暮らし。夕方、ベランダ側と通路側の窓を閉めると、お隣の窓からフェレットが数匹顔を出していた。毎日だいたい同じ時間にベランダでゲージを洗う音がして、お隣との仕切り越しに排水が流れてくるのは、あの手のペットがまだ室内に数匹いるためらしかった。これは困ったなと思いながら、食事の支度に換気扇を回す。あとはシュジンの帰りを待つだけという段になって、小さな用事を思い出して乳児を抱き、サンダル履きで玄関を開けようとするとドアがピタリとも動かない。気を落ち着けて再びノブを回すけれど、ノブは回ってもドアは寸分も開かなかった。
思い直して室内にもどり、ベランダ側のサッシを開けようとしてまたギクリとした。開かない。。。なぜ、開かない?
静まりかえった室内に、換気扇の音がしていた。あれだ。あのせいだ。
ヤレヤレ、気密性のせいだ、と気がつくとそれまでの大げさな閉塞感に風穴が開いた。換気扇のスイッチを切れば、ドアもサッシも開くのだ。
それにしても。「家」を手に入れるということはたいへんなことだ。 家の内と外、「完璧な買い物」がこれほど難しいものはない。。。
あのマンションの住人だった頃、わたしは妄想にはげんでいた。チラシの住宅情報、雑誌やムック本の「住宅」記事。子どもが寝てる間にあり合わせのお昼をかきこみ、「この間取りは…このキッチンは…この脱衣室は…」とあれこれ思いをめぐらせた。たしかそう、「妄想建築」というノートを書いていた。食事まわり、洗濯まわり、収納まわり…理想の間取り図もパーツ別にいくつか書いた。中村好文さんの「住宅読本」なんていうのが、あの頃のわたしの妄想のパートナーだった。
今の借家へ越したのは一年後。チラシも見ておくものだ、とあのとき思った。
子どもが大きくなりはじめると、「家」そのものより「落ち着きどころ」が欲しくなった。移動があるにしろなんにしろ、どこかに「帰るべきところ」が欲しかった。
帰省のたびに物件をのぞきに行く。この町に住んだら…幻想の鼻っ柱を次から次へと折るのはシュジンだ。「ここはダメだな。環境はいいけど駅から遠い。道から数段のこの階段もダメ」
ダメ出しばかりをするシュジンの言い分はこうだった。年をとって、車にも乗れなくなったとき、駅から近いことは行動範囲を広げるから駅寄りがいい。年を取って足腰が弱ったら、玄関前の数段の階段でさえ負担になるから避けるべきだ。
このひとは若い頃から転居が多かった。このひとはそもそも家の「内」に関心がない。このひとはそもそも「今」の快適さに関心がない。こと「家」に関して、わたしになくてシュジンにあるのは「老後」のイメージだけだ。。。
そう考えると腹が立ってきた。わたしはここで何をしているのか。わたしはなぜ今ここにいるのか、と。
リビングのソファーに座って庭を走る子どもを眺めるとか、夜には天窓のあるお風呂から星空を眺めるとか…。せめて幻想の中で「夢」を見ることくらい、付き合ってくれたっていいじゃないか。。。
ねーねー、おうちへの夢ってあるよねー。こういう窓にこういうカーテン。こういうキッチンにこういうダイニング…
転勤族ママたちで「妄想ホーム」の話題で盛り上がっていたとき、あるママがにっこりと言った。
ごめん。わたしは興味がないの。洋服にもお化粧にも興味がないから、友達には「女じゃない」って言われるけど、興味があるのは「月のものと女性の関係」。三砂ちずるさんなんかがおもしろいと思ってるの。
目鱗の発言だった。「家には興味がない」という彼女はいつも泰然としていた。
「家には興味がない」。そうか、そりゃそうだ。世の中のすべてのひとが「家」に関心があると思っていたわたしの発想の根源はなんだったのだろう。マイホーム、マイホーム、そういえばむかしほど耳にしなくなった言葉だ。
高峰秀子さんは晩年、港区の豪邸を「減築」されたそうだ。老いの身に始末のいい住まいを求められて。
そうか。「豪邸」はどだい無理だとしても、「減築に減築に減築を重ねた今」と妄想するのは悪くないのかも知れない。どこにいても、どんな住まいでも、マイホームはマイホーム。
スイッチを切ればいい。「家がなければ。」という息がつまるような圧迫感は、スイッチを切りさえすれば「プシュッ」と気圧が抜けたように風通しがよくなった。
「家」って「時間」だ。ときおりそう思う。若い頃はずっと、人生なんてスパンが大きすぎて、幻想とも妄想ともつかない「未来」の中に時間が伸びているような気がしていたけれど、自分の人生の縮尺が現実の中でつかめてくると、「家」に対する感覚が、ぐっとこう縮まってきた。。。
夏からこちら、家の前の田んぼがどんどん造成されていく。新しいおうちも建てられている。
「あの新しい家に、男の子が越してきてくれるといいなー。一緒に遊べるし、野球もできるかも知れないしー」
おいおい、5年生。5年生としてその発想はどうなのよ。