コカコーラ・レッスン的なこと
谷川俊太郎さんの『コカコーラ・レッスン』という詩を初めて読んだときの感動は忘れられない。
少年が防波堤に座り、足をぶらぶらさせていると、波しぶきがかかる。少年は『海』という言葉と『僕』という言葉を頭の中でぶつけ合っていたのだが、ふいにその二つが解け合う瞬間に立ち会うのだ。
「そうか、海は海なんだ」と少年はひとりごちる。「海という名前のものなのではなく、これは海なんだ」と少年は発見する。その発見は、言葉の向こうにある確かなものとの出会いであると同時に、言葉というものがどれだけ重要なものなのかを思い知らされた瞬間なのだと僕は感じた。
そして、思い出したのが小学校にあがってすぐの頃のことだ。
そのころ、うちの家には小さな水屋(みずや)があった。「みずや」というのは、食器棚のようなもので、いまではもう水屋という呼び名はほとんど廃れてしまったが、当時でも「聞いたことがない」という人もすでにいたかもしれない言葉だ。だが、うちの実家は、近所に祖母が住んでいたこともあり、みんなが日常的に『水屋』という言葉を使っていた。
ある日の給食の時間。誰かが、食器棚の話を始めた。
「うちのお母さんは、おやつを食器棚の中になおしておくのですぐ見つけられる」というようなたわいもない話だ。ちなみに、『なおす』というのは「しまっておく」という意味の大阪弁。
そのとき、僕が「食器棚って、水屋のこと?」と聞いたのだった。すると、みんなが「水屋ってなに?」と言い始め、なかには「水屋なんて言わないよ」とか、「水屋って、へんな言葉」とか極端に否定する男の子もあらわれた。
僕は衝撃を受けた。僕が、僕の家族が、いや、近所の人や親戚までが使っている『水屋』という言葉を誰も知らない。もしかしたら、それが僕の周囲だけが、冗談のように使っている言葉かもしれないのだ、ということに驚き、口がきけなくなった。
そして、「いま手に持っているパンも、もしかしたらパンという名前ではないのかもしれない」と思い始め、「家で使っているお茶碗も、他の子の家では、お茶碗とは言わないかもしれない」と僕の不安はとどまるところを知らなかった。給食が始まって、ほんの五分ほどで、僕はいままで感じたこともないような不安の真ん中に立っていた。
一緒に食べていた先生が「水屋って言葉はちゃんとあるのよ。とてもきれいな言葉だと思うわ」と言ってくれたおかげで、僕は不安の海から救われ、教室の中は急速に静かになった。もちろん、先生が本当にその言葉を知っていたのか、そのときの騒ぎをおさめるために言ったのかはわからない。どちらにしても、「きれいな言葉かなあ?」と思いながら、「たすかった」と胸をなでおろしたのだった。
それでも、あの時の恐怖心と孤独感は忘れがたい何かを教えてくれたような気がする。だが、それを『コカコーラ・レッスン』のような詩作品にする才能もない僕は、時折、あの時のことを思い出しては、名前というものの怖さとか面白さを考えてみたりする。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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つまみ
水屋という言葉、知りませんでしたが、私もきれいな言葉だと思います。
蝿帳で同じような経験をしました。
あの折りたたみ式の食器蚊帳のようなものを我が家ではふつうに「はいちょう」と呼んでいたのですが、学校でそう言ったら「なにそれ?」という雰囲気になって「うちだけ?」と孤独感に襲われました。
私には「蝿帳という言葉はちゃんとあるのよ」と言ってくれる先生もいなくて、家に帰って母親にお門違いの文句を言った記憶があります。
そのとき、母親がなんと言ったのか、昭和40年代にはどこの家庭にもあったと思われる蝿帳をみんな、なんと言っていたのか、は忘れてしまいました。
そして、もし先生がその場にいても、蝿帳じゃ「きれいな言葉」とは言いづらかったと思います(^_^;)
こういう記憶を「コカコーラ・レッスン」とシンクロさせる感覚、好きです。
アメちゃん
こんにちわ。
こどもの頃、我が家にも水屋ありました!
我が家ではみんな、「水屋」って呼んでいましたよ。
うちの水屋は、棚にのるぐらいの小さなもので、カリカリ梅やなめたけの瓶詰めとか
おかずの残り物とか入れてました。
水屋にしても、つまみさんの蝿帳(←って呼ぶのは知りませんでした)にしても
昭和に使っていたものって、なんか風情がありましたね。
ほんとは正しいし美しい言葉なのに
周りが使わないがために、使いづらい言葉ってありますよね。
羊羹やたんすを数える「一棹、二棹」って、私はすごく好きなんですけど
使ってだいじょうぶかな??って躊躇します。
takeume
水屋 は普通に使ってました。 今でも実家では使ってます。「そっちの水屋の皿とって」とか。
「寝床」とか「手ぬぐい」、バスタオルは「湯上げ」
子供のころ、「え?知らない?」って思った感覚はないので、みんな使ってたんだと思います。
和歌山の真ん中辺の田舎だから・・・てわけじゃなく、大阪市内育ちの夫も解る言葉です。
蝿帳、は呼び方知らなかった。
親は言ってたのかなぁ??? なんて呼んでたかも記憶にないです。
okosama
水屋、ありました。木製の引戸の棚。
ガラス戸の食器棚のことも「お茶碗拭いて水屋にしもといて(しまっておいて)」と昭和一桁生まれの母は言いました。
アメちゃんさんちの小さな棚は、蝿帳と呼んでいました。つまみさんのおっしゃるパラソルのようなのも蝿帳。
ところで、
子供のころ、モノに違う名前をつける遊びをしていたのを思いだしました。
uematsu Post author
つまみさん
勘違いして、親に文句を言う、と言うシチュエーション。僕もあった気がします(笑)。
知らないって言うのは一番強いですからね。
蝿帳っていうのは知りませんでしたが、なんだか、つまみさんの子供時代が目に浮かぶようです。
uematsu Post author
あめちゃんさん
ものによって、数え方の単位が違うっていうのは、ほんとに言葉の豊かな国だなあ、と感動をおぼえます。
一棹、いいですね。
uematsu Post author
takeumeさん
湯上げは知りませんでした。
もう、こうなったら、昭和40年、50年あたりに消えた言葉を復活させて、それだけで生活してみたくなりました。
uematsu Post author
okisamaさん
ものに違う名前をつける遊び!
ぼくもやってました。
父を母ちゃんと呼び続け、ビンタされました(笑)
まっつ★
植松さんのコカコーラ・レッスンを拝見して、
30年以上前に受けた入試の評論文の問題を
思い出しました。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
このことわざ(?)から始まった文章は、
人は何だか解らない物には不安や恐怖を
感じてしまう。
その対処方法としてとりあえず
名前をつけて概念化することで
安心するみたいな内容で、
名前を付けるということの意味や
大切さを思いがけず知りました。
その入試は不合格でしたが^^;
今だにこの原典の著者を知りたいと
思っています。
uematsu Post author
まっつさん
名前をつけて概念化する、というその話、なんだか腑に落ちます。僕もその原典知りたいです
きゃらめる
水屋も湯上げもふつうに使ってました。
蚊帳(かや)も大阪弁なのかしらん?
蠅帳は知らなかったなぁ~
uematsu Post author
きゃらめるさん
これから先、その地域でしか使われない言葉というのは、どんどん少なくなるんでしょうね。
つまんないですね。
サヴァラン
uematsuさま
わが家はふだん「バスタオル」を使いません。(洗濯が面倒だから)
わが家はふだん朱塗りの「多目的椀」に白いごはんをよそっています。
(ふつうのご飯茶わんよりこっちがいいと息子が言ったから)
で。
息子は「バスタオル」を「バスマット」と混同しています。
息子は家庭科の調理実習で、「お椀」に「ごはん」を盛りました。
そういえば。
「白いごはん」という言い方はパブリックに通用するのか?
という疑念が子どもの頃にありました。
「ウチはどうもローカルルールが多すぎるらしい。。」
わたしも子どもの頃、恐怖と孤独に襲われました。
息子が今、同じ恐怖におびえているようでございます。
あたって砕けて回収しろ。それがコカ・コーラレッスンじゃ。
uematsu Post author
サヴァランさん
「これはもしかしたら、うちだけの呼び名なのか、うちだけのルールなのか」
という恐怖は、一度考え始めるとなかなか逃れられないものですね。
でも、最後の最後は「当たって砕けろ」がいちばん。
というかそれしかないですね(笑)。
がんばれ!
ハラミ
こんにちは。
そういえば実家では小皿のことを「おてしょ」と呼んでおりました。
方言かと思っていましたが「御手塩」と書く用語のようです。
母親世代は御手洗いのことを「ごふじょう(御不浄)」と言っていたのを思い出しました。
まさに字のごとしですね。
さすがに自分の世代は使わなかったですが(笑)
uematsu Post author
ハラミさん
「おてしょう」は、本を読んで知りました。若い頃の職場の同僚に教えたら、居酒屋でさっそく「おてしょう、ください」と使いました。なぜか、コショウがきました。