映画の狂騒と高林陽一。
7月の中旬に前期の授業が終わると、大阪の映画の専門学校では、夏の合宿がある。
僕が参加するのはこれで2回目。さすがにこなれてきた。
しかし、狂っている。民宿ばかりが軒を連ねる鳥取の海沿いの町で、10名ほどの先生に引率されたそれぞれ10人程度の学生たちが一つのチームを作って作品をつくる。
たった2泊3日で短編映画や番組や実験映画を撮るのである。プロが結集しているならともかく、まだ勉強し始めたばかりの1年生と、2年生が力を合わせるとはいえ、普通ならまともな作品ができるわけがない。しかし、合宿が終わり、秋の学園祭で上映される作品を見ると、それなりに仕上がっているのである。
夏の炎天下、海沿いの町、声優学科に協力してもらう多少アニメ声の俳優陣。そんなアイテムを最初から把握して、何が撮れるのか、ということを読み取ることができる学生が集まったチームは話が早い。力を集中できるところだけに集中する。むやみに走り回らない。
ただ、それではおもしろくない。というのが映画の面白いところだ。映画なんて狂わないと面白くも何ともない。それがたとえ学生と撮る映画であったとしても。
しかし、学生に「狂おうぜ!」と言ったところで、話は伝わらない。そんな時は、過剰な何かを与えるといい。去年はずっとキスをし続ける映画を撮った。脚本が出来る前から、「ずっとキスをし続ける」ということだけはテーマとして掲げた。
すると、だんだん演じる側もキスがうまくなってくる。画面から、少し淫靡な雰囲気が伝わってくるようになる。撮る側も同じように影響されて、このキスをどう活かせばいいのか、と考えるようになる。
というわけで、去年のキスを受けて、今年はキスを封印することにした。一回もキスをしない。しかも、登場人物はいろんな都合で、若い女性が三名。そこに、撮る側にいた若いのを一人投入して女三人、男一人のストーリーをつくる。そして、今年の『過剰』は走ること。
延々と海岸沿いを走ってもらうことだけを決めて脚本を完成させる。二泊三日の最終日、スタートからカットまで5分近くワンカットで走ってもらう。それまでの撮影は、ラストで走るための場面を積み重ねる。
しかも、全部順撮りにする。つまり、こっちを先に撮影するとラクだから、ということを許さず、頑なに順撮りにする。
なにしろ、撮影初日が僕たちの大師匠にあたる映画監督、高林陽一の命日だから。最後に35ミリで撮影した劇映画の助監督をやったときに、監督からこう言われたのだ。「植松くん、この映画は全部順撮りでいくから。ワンカットワンカット、全部順撮りやで」と。
最初は、ああ、そうですか、としか思っていなかったのだが、順撮りはとてもきつかった。なにしろ、照明をセットしなければいけない室内シーンも、カット割りの順番に撮っていくのだ。本当なら、照明をセットした被写体のカットを先に全部撮ってしまい、その後、セットをばらして、向かいにいる人物の照明を組み直す。
しかし、高林陽一は「そういう邪魔くさい順撮りをしないと、自主映画をやっている意味がない」というのであった。
そこまで厳密ではなかったが、今回の合宿映画もほぼ順撮りだった。ラストシーン、男が女を連れて逃げるシーンは、最終日の朝4時から準備をして、5時前にシュート。延々と5分ほど砂浜を走ってもらう。最初は豆粒ほど、いや、豆粒にさえ見えない。それが次第に小さな黒い点となって、やがてその点がうっすらと人のカタチになり、だんだんと、走っているのだということがわかってくる。
目の前を通過し、少し先の砂浜でひっくり返って息を弾ませている主人公たちを見ていると、不思議と涙がこみ上げてきた。ああ、順撮りをしてよかったなあと思えてきた。
明日の朝の降水確率70%と言う予報を見て、土砂降りでも決行するぞ、と息巻いていたのだが、やはり朝日の中、無我夢中で走る人を見るのは感動的だった。
もちろん、それと映画の出来とはまったく違う話なのだが、少なくとも一緒にいた学生たちも、これだけ必死に撮ったものを必死に作り上げなければ、という気持ちにはなったようだ。
そして、今年の夏は僕自身も本当に短い映画を一本撮ろうと思っている。もちろん、全部順撮りで。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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はしーば
素敵!
読んでるだけでワクワクしました。
植松さん、ありがとうございます。
uematsu Post author
はしーばさん
ありがとうございます。
映画って妙な物で、どんな内容のものでも、
撮り終えると感動してしまったり達成感があったりします。
でも、そこではなく内容を客観的にみれるかどうか。
そこが運命の分かれ道なんですが、
いやもう、ほんとうに難しくて面白い世界です。