ああ、「ガチャン」。解放と隔絶のあいだ
「一度距離を置いてお互いに冷静になった方がいい。
おかあさんは明日になったら家を出ます」
そう宣言した翌朝、シュジンと息子は粛々と職場と学校へ。家出を宣言したわたしは、家族が出払った後で家出をするという間抜けな図式となった。
人目に触れず、なるべく冷静な心境を取り戻せる場所というのは、考えてみると実は本当に少ない。
「人目に触れない家以外の静かな場所」の確保も喫緊なら、梅雨明け前の洗濯ものの始末も喫緊。わたしの代理で学校の面談に行くことになったシュジンを職場と学校間で送迎することもしなければならず、翌日のPTAの救命救急講座と夏休みのプール当番の打ち合わせには行かざるをえない。週末には役員をしている子ども会の草取りもある。翌週は同じくレクリエーション大会。その費用を子ども会の通帳から用意しておかねばならない。
それらの準備をしながら、「お仕事のあるおかあさんならこんな愚行には出られないよな」と思う。
冷蔵庫には前日に求めた数日分の食材がある。シュジンと息子ではすっかりダメにしてしまうだろう。息子に「お母さんは鬼ばばあだ!」と言われたのも悔しいけれど、食材をダメにするのも悔しい。お野菜もお肉もお魚も、ともかく調理済みにしておく必要があった。
ともかく。ともかく、人目に触れず、静かな場所。。。作業の合間に「わたしだけの住まい」を考える。
前にママ友の一人が、ご主人と大喧嘩をして市内のユースホステルに泊まったというはなしを聞いた。
「ユースホステルなんて、もともと人の出入りがほとんどない上にオーナーがはなし好きで。あちらも別にさぐりを入れるつもりはないんだろうけど、わたしみたいなおばちゃんが一人で何泊もしてるといかにもワケあり感プンプンで。もうほんっとうに風通しが悪いったらありゃしなかったわ」。
うちの近くには温泉街がある。けれどもいつも行き来する生活圏の中の宿というのは、「家出」には不向きだ。
新幹線で3時間の実家に帰るには、時間も、費用も、親への説明も、すべてストレスの上乗せでしかない。
新幹線の駅まではうちから車で20分。駅前のビジネスホテルなら、学校その他の用事をすませるにはそう負担にもならない。
ところがホテルはなかなかとれなかった。たまに利用する新山口の駅は、いつも閑散としている。地方産業は年々逼迫の度合いを強め、他地域とのビジネスの交流が盛んなようにも見えない。
それでも。駅前のビジネスホテルはかなりの稼働率なのだ。街もひとも、懸命に動いているのだ。
あらためて、知らない、ということの恐ろしさを感じた。それに加えて、「今夜泊まる場所がない」という現実は、「はじかれている」という焦燥も募らせた。
意外なことに、一番の好条件のホテルに空きがあった。這う這うの体でネットで予約を入れ、一時間後にチェックインをした。車のトランクには各種荷物がそれぞれバッグに積めてあるので、宿泊中に駐車場と部屋を行き来しなければならなかった。
なにやってんだか。
駅の真ん前の部屋のカーテンを開けてそう思った。
ガチャン。
重い鉄扉で閉ざされた狭い部屋。荷物を片付け、机の上のバインダー類を引き出しにしまい、窓から外を見ても気は晴れない。12年前にこの地にきたとき、こんな夜が来ようとはゆめゆめ考えもしなかった。
ホテル独特のリネンの匂い。窓ガラスの振動を通して伝わってくるボイラーの音。椅子にもベッドにも腰掛ける気にはなれなかった。
真空のような圧迫感。求めていた開放感はここにはない。
「非常口」を確かめなければ、と思った。鍵を握って部屋の外に出たところで、ビーチサンダル履きの外国人の青年と目が合った。「ハーイ!」という明るい声につられて、「ハーイ」と小さく返す。
翌朝、6時頃には、同じフロアのあちこちの部屋が動き出している気配があった。
おそろしくゆっくりと身支度を整え、ベッドを直し、「花子とアン」を椅子に座って見る。蓮子さんは石炭王に「ありがとうございました」と深々と頭を下げていた。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。廊下の外では「一日」をはじめる音が響く。
おいていかれている。ありとあらゆるものから。
たとえ何の用事がなかったとしても、ここに一日中こもっていることは無理だな、と思う。9時に部屋を出るとお掃除が始まっている。お掃除スタッフの女性に、「お掃除に入ってもよろしいですか?」と聞かれる。「はい。お願いします」とこたえてとても申し訳ない気がする。
スタッフの方は、この一部屋をどのくらいの時間と段取りで掃除をされるのだろう。できればお仕事振りを見せていただきたいなと思うけれど、きっとご迷惑になるだろう。
ともかく日中はホテルを出なければ。
留守宅?にこっそり帰って洗濯物を干したあとは、それが乾くまでは時間を潰さなければならない。家出翌日のAED講習はかえってありがたい「用事」であった。次の日、図書館に行くと、ちょうど息子のクラスの「読書感想画」の展示中。ひとりひとりの作品がとても面白い。このあいだ1年生だった子どもたちが。。。本を読んで数時間後、買おう買おうと思って買いそびれていたアイブローブラシをデパートに買いに行く。ついでにシュジンの夏物をバーゲンで数点購入。同じお店で、「これならシュジンも、いずれは息子も使えそう」と目についたネクタイを一本求める。
「鬼ばばあ」と言われて家出中の母親が、7,8年後の息子のためにネクタイを求める滑稽さ。
そういえば、ユースホステルに家出したママ友は、そこで売られていた手作りの脱衣籠と棕櫚のほうきが気に入って、「我ながらアホくさ!」と思いながら、それらをかついで家に帰ったと言っていたっけ。
7,8年というのは長いようで短く、短いようで長い。家族というのは、不器用ゆえに憎らしく、不器用ゆえにいじらしい。そのなんとも割り切れないパラドックスは、わたしがこれまでの歳月の中で学んだ唯一絶対な真実のように思う。
シングルルームのホテルのドアは、思いのほか重かった。壁と窓で仕切られた小さな部屋は、孤独と焦燥を感じるには十分な広さであり、「外からの隔絶」を望みながら、隔絶を恐怖する自分の矛盾を否応なく教えてくれた。
ガチャン。
重い鉄扉をを閉めるのもわたしなら、開くのもわたしでしかない。
わたしの代わりに初めて学校の面談に行ったシュジンは言った。
「面倒だったけど面白かった。たろうの絵や作文は面白いと、先生に言われてそうなのかと思った。きみがいないあいだ、家はとても汚れたけれど、静かで良かった。あ、違った。こんなこともたまには面白い、と思った」。
マッピー
私も7、8年前家出したことあります。
ただ4才と1才の息子たちをつれてですが。駅前のビジネスホテルに泊まって、晩御飯はファストフード。翌日家に戻ったものの、腹の虫が収まらず、再び実家へ家出。夫か迎えに来ました。謝ってもらったけど根本的な解決はなくモヤモヤしたまま、今年主人が亡くなりました。。
後悔はないけど、喧嘩しつつ、一緒に過ごしていたかったかな。
サヴァラン Post author
マッピーさま
小さい息子さんたちをお連れになったその夜のこと。
胸がつまります。
わたしの家出は
今思えば滑稽なほどささいなことがきっかけで、
恥ずかしい限りです。
それでも
上に登場してもらったママ友も
そしてもちろんマッピーさんも
さらにもし加えていただけるならわたしも。
そのときのそれが精一杯の行動だったのだと思います。
(いきなりぶしつけで申し訳ありません)
そして、
わたしなどが軽軽なことは申せませんが
そのときのご主人さまもおそらくはきっと。。。
わたしは、いくつになっても自分の行動の適否というものを
正しく判断できるようになりませんが
言動や感情の適否は別として
相手と自分とのその時々の「精一杯」を抱きしめていたいと
最近思うようになりました。
「後悔はないけど」とおっしゃるマッピーさんは
ご主人さまとご自身の「精一杯」を
今、お腹の底で抱きしめていらっしゃるのだと思います。
どうかどうかそのことが
マッピーさんを支えてくれますように。
ご主人さまのこと
心よりお悔やみ申し上げます。