ああ、みなまで言うな。母と娘のあいだ。
「あーた。夏休みはどうなの?たろうは変わりなく元気なの?
あーたの体重は、まさかあれから増えてたりしないでしょうね!」
実家の母からの電話にびくりとする。
「たろうは変わりなく元気です」。そう答えてどきどきする。元気なのに変わりはない。いやむしろ、元気過ぎてひと悶着あったのだ。
「元気も元気、元気過ぎて。こないだとうとう鬼ばばあって言われたわ」。電話の向こうの母はカラカラと笑う。
「まったく。わらいごとじゃなかったんだから。。。だっておかしいじゃない。むかし宿題中に物差しで手を叩いたことを称して体罰だの、鬼ばばあだの。感想文を書き直させたことをもってきて、ぼくはお母さんの言いなりになってきただの。挙句の果てに、ぼくはずっとしいたげられてきた、とまで言うのよ。あの子ったら。しいたげるってどういう意味よ、って言ったら、そのままの意味だって、ご挨拶もいいとこよ!」
母はカラカラと笑い続ける。
「たとえ、たろうの言うことが大人からすれば大げさだとしても。11歳のあの子はあの子のもの差しで、それはそれで精一杯の表現なんだから、今のあの子の主張を受け止めるしかしょうがないわね。それにしても鬼ばああって、あの子よく言ったわね。あっはっは」
こういうとき、母がわたしを慰めることは全く期待できない。余計な言葉を挟めば倍返しではすまされないので、笑い声も含めて適当に聞き流す。それより、これが原因でわたしが家出をしたことを、今ここで白状するべきか、受話器を持つ手に力がこもる。
なんのかんの言って。わたしは母に秘密をあまりもてずにこの年になった。それが完全に習い性になっているので、ここで家出のことを言わないままにすることは、わたしにとっては湿度の高い罪悪感というか、粘度の強い強迫観念というか、ともかく後ろめたさを残す際どい別れ目になる。
「あーたったら。そんな極端なことをして」。。。
白状するまでもなく、母の反応はもう耳元で聞こえている。
――― 言わない。話さない。わたしにだって、たろうの親としての矜持がある。
「たろうのそんなの。かわいいもんじゃない。あーただって、さんざんわたしに言い寄ったでしょ。まったく、すばらしいことを。ほんとにまー。あーたときたら。
それはそうと。下重暁子さんがこないだね。。。」
下重暁子さんというのは、何年かに一度母の話題に上る女性だ。もとNHKのアナウンサーで今は随筆家、評論家。
「お若いときはあんなに可愛かったあの方が、お年を召してあんなになっちゃうんだから。わたし同い年だけど。年をとるってほんと一筋縄じゃいかないものだって思うわ」。
確か2,3年前の下重さん話題は、そんな内容だった。「あんなに可愛いかった」と言われても、「あんなになっちゃ」ってと言われても。わたしは母の「あんな」の語気の範囲でしか、下重さんを現実には知らない。それより下重さんに頭を下げる方が娘として正しい道だという気がする。
そうだ。おおむかし。「画報」系の雑誌で、下重さんがお母様のものだという黒の婚礼衣装をお召しになっている写真を見た記憶がある。伸びやかな裾模様の大振り袖も、大きく立て矢に結んだ立派な丸帯も、すべてお母様のお衣裳の一部だとクレジットには書かれていた。
あの写真の頃で、おそらく50歳前後におなりになっていたはずだけれど、昭和初期のものというお衣裳の見事さと、下重さんのチャーミングな美貌の取り合わせは、お年を召した方が振袖を着るという奇異さとは別の「重厚で格調高い美」として強く印象に残った。
それに加えて、「持っているひとはあらゆるものを持っている」という下世話な感想をわたしに焼き付けた。
「それはそうと、あーた。あの下重さんがね。このあいだ、おっしゃっていたのよ。わたしは決して、母にとっていい娘ではなかったって。しみじみとおっしゃるから、わたしびっくりしてしまって。
お着物のことに限らずね。理想的な母と娘と思うじゃない。今まで下重さんが書かれてきたものを読んでも。
それがあーた。あのおとしになって言われるんだから。自分はいい娘ではなかったって。
どきりとしたわよ。でも、これが本当なのだとも思ったわよ。きれいごとじゃなくてね。ずっとこのままきれいごとですませる方法だって、あったと思うのよ。少なくとも人前でおっしゃらなくてもね。でもね、下重さんはね。。。
ちょっと、あーた。わたしのはなし、聞いてるの?」
聞いてますよ。聞いてますとも。
下重さんのそのお話しが、何故そうやすやすとあーたとわたしの間柄にスライドできるのかはわからないけれど。
あーたはもしかすると下重さんのお母様にシンパシーを感じていて、わたしのことを下重さんと重ね合わせて、えらく感嘆しているのかも知れないけれど。それはちょっと、手前みそも過ぎるんじゃ。。。
そもそも。あーたと同い年の下重さんが、ご自身のお母様とのことをおっしゃるのなら、ここはその、あーたとおばあちゃんの関係を重ねて考えるべきところではないのかしら、もごもごもご。。。
「ね。いいですか。おやこというのは多かれ少なかれそういうものなんですよ。親の思い。子どもの身勝手。
ちょっと、あーた。聞いてるの?聞いてるんなら聞いてるでなんとかおっしゃい!」。
ああ、お願いだ。みなまで言うな。言わせるな。胸が詰まる。
それにしてもこの感じ。
息子の舌鋒は、隔世遺伝だと、わたしは思う。ね、おばあちゃん。。。
※ 写真は 「Advanced Style」より使わせていただきました。http://advancedstyle.blogspot.jp/
okosama
サヴァランさん、こんばんは
山口の雨は少しはおさまりましたでしょうか。
うちの場合、不思議なことに、一悶着あった時を狙ったように、実家から電話がかかってきましたよ。
で、心配したがりで話がややこしくなるから、私は彼女に何も言わないんですけどね。
ところで、
クルエラ・デ・ヴィルは「鬼ばばあ」? それともカラカラ笑う電話の向こうの…?
(怖くて最後まで言えませぬ 笑)
サヴァラン Post author
okosama さま こんにちは
コメント ありがとうございます。
山口の雨
あちこちからご心配いただいたのですが
当地山口市は実はほとんど降りませんでした。
山口県の東部、岩国市周辺がたいへんだったようです。
実家のある名古屋も
報道ではかなりの豪雨とのことでしたが
実家周辺は大過なかったようで。
先ほどの電話でも
「そんなことより あーた!」と話題を横取りされました。
クルエラ・デ・ヴィル
あ!「鬼ばばあ」のイメージキャラともとれますね!
(今回の画像、
息子が「ばあばだ!ばあばそっくりだ!」と言うのを並べたつもりですが^^)
ぎゃ!
ということはわたしたち母子
二人ともクルエラキャラってこと?
きゃー、クワバラクワバラ~~~!