ぶっちゃければ正直、なんて思っている時点でお下劣だ。
建前は大事だと思う。若い頃は、建前なんてくだらない。みんなが本音で語り合えば世の中はよくなるのだ、と信じていた。でも、それは違うといまは思う。それぞれの立場で言っていいことと悪いことがある。本音を言えばいいのではなく、きちんと建前で話さなくてはわからなくなることがたくさんあるのだと思う。
僕たちが50年代60年代のハリウッド映画を見ていて、面白と思うのは、登場人物たちがそれぞれの立場をわきまえて発言するからだ。例えば、「ローマの休日」は王女は王女として生きていて、新聞記者は新聞記者として生きていて、そこから少し羽目を外すから、とてもスリリングで楽しい映画になる。
王女としては言えないこと、できないことがたくさんあり、王女から逃げ出した一人の女の子としてローマの町を歩くときに、初めてオードリー・ヘップバーンはイキイキと輝くのである。しかし、彼女はちゃんと最後に王女として生きていく決意を固めて、淡い恋心を封印する。
いまなら、王女は新聞記者に手を引かれて、「ぶっちゃけ、抱かれたいんだ!」なんて男言葉で叫んだりするのかもしれない。
そう考えると、「卒業」などに代表されるアメリカンニューシネマあたりから、本音で若者に訴えかけるという映画が増えたのだろうと思う。でも、それは建前が生きていたからこそ、それが面白かったのだと思う。それに本音で語ればすべてが面白くなるのか、と言われると決してそうではないはずだ。
日本映画でもここしばらくコンスタントに時代劇が作られるのは、本音ではなく建前で生きる人たちの人間模様の面白さにみんなが気付き始めたからだろう。
先生が「ぶっちゃけ、女子高生を抱きたいのだ」とか言い出して、「それも人としては自然な感情ですね」なんて擁護しだしたら、もうややこしくて仕方がない。教職は聖職だという建前は決してないがしろにできないものだし、やっぱり公立の小中学校の居残り学習を学習塾に委託しちゃいかん、と強く思うのだ。
「よくよく考えてみると」という言い回しも僕は好きではない。「よくよく考えてみると」という枕詞の後に、いわゆる言ってはいけない本音が繰り出されてくるから。だけど、よくよく考えてみると(と使ってみる)、そう言わざるを得ない状況にすぐに追い込まれるような環境であることは確かだと思う。
仕事で打ち合わせをすれば、どう考えてもこんなに人数はいらんだろう、という人数が集められて、それぞれが馬鹿の一つ覚えのように「どう思うか」ということを発表させられる。さすがに、仕事をしていて「言わなくても察してくれ」というやり方は通用しないだろう。だけど、「思うところがあれば言う」「意見がなければ黙っていればいい」という当たり前の状況に戻らないものだろうか。無理やり意見を言わされ続けると、誰もが中途半端に「意見の言い方」を覚えてしまう。そして、黙っているほうが悪い、という印象付けを知らず知らず実践してしまう。本来、人間のコミュニケーションはそんなもんじゃなかったはずだ、となんだか気分が荒ぶる思いだ。
浮気をしていて、「正直に言わないと悪いと思って」とパートナーに告白する馬鹿が増えたという。ああ、気持ちが悪い。そんな奴らと仕事なんてできるかよ!とぶっちゃけ思うのだった。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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nao
はい、建前は秩序なので必要だと思います。
問題なのは、どんな建前を使うのかは人類共通のものではなく
国、地域、時代によっても変わってしまうってことじゃないでしょうか。
相手と共有できるコミュニケーションの方法をとらないと
通じないのが悩ましいです。
だから同時代を生きてきた人とはつながりやすいのかな。
uematsu Post author
naoさん
最近、いくら本音でもそれを言っちゃあおしまいよ、という場面に連続で出くわしまして、ちょっとばかり、本音怖いシンドロームです(泣)。
確かに、同世代はそういう共通項は持ちやすいですね。
でも、同世代ばかりじゃないですもんねえ。厳しい世の中だ(笑)
okosama
若い頃「そうや!建て前が本音になるほど精進すればいいんや!」と考えた事が有りました…。(遠い目)
uematsuさん、聞きたくない本音を聞かされたんですかね。
uematsu Post author
okosamaさん
あー、そんなことを思ってました、僕も。
でも、そんなことも忘れたいほどの
本音攻撃にあったんです、はい。
okosama
ふたたび。
実はつい先日、よく存じ上げない同世代の方に電話越しにぶっちゃけた話をして、「それはそれとして…(建て前を通しましょう)」と無事ご理解を得たところでして(よく分からん話ですみません)、本音を言うのも説得の一つの手だなぁなんて思っていました。
が、思いもよらない本音を聞いてしまうと、自分の中で収まりがつくのに時間がかかりますよね。どこかでそれを切り捨てないと、素知らぬ顔で付き合い続けるのは難しい。浮気の話は墓場まで持って行ってほしいくちです。
それにしてもuematsuさん、相変わらず?なんか呼び寄せてはりますね。(笑)
uematsu Post author
okosamaさん
しかも、思いもよらない本音の中に、
思いもよらない悪意のようなものを微妙に感じ取ってしまったときの、
胸の鼓動は、恋予感の比ではありません(笑)。
ちなみに、僕がなにかを呼び寄せている、というお話ですが、
周囲の者がいうには、
「あなたは、『こんなことが僕の周りで起こった』と言っているが、それは違う。
あなたが、そういうところに顔を突っ込んでいるのだ」
ということなのだそうです。
でもなあ、電車の中で変な人に会わないように、
注意深く車両を選んで、選んで、選び抜いた上に乗り込んだ車両に、
僕を目がけて突進してくるようなおばちゃんが乗り合わせているんです。
もう、どうしようもない(泣)。
爽子
すいません、コメント順番においかけてて、最後のUematsuさんの受難?に、大笑いしてしまいました。
浮気を悪いと思って告白するのって、自分の罪悪感はポイ捨てできるけれど、ダメダメですね。
責任取らなきゃ、大人なんだから。
なんでもぶっちゃければ、それで済んだら、世の中えらいことになります。
uematsu Post author
爽子さん
浮気して「嘘は良くないと思って」と言いつつ真実をばらすって、最近、多いらしいですよ。
自分の罪悪感に耐えられなくて、人を巻き込む、という最悪のパターンですよね。
あと、最近多いのは、ある人の欠点というかひどい人格を知っているのに、
平気で人の会社に紹介したりする人。
これは、実経験があるのですが「なんで、ちゃんと言ってくれないんだ」と文句を言うと、
「うえまつさんの会社と合うか合わないか、相性があると思いまして」
「それに、ぼくの一言で人の出会いのチャンスを潰してしまうことになると思ったりして」
なんて、言い訳をされました。
本人、言い訳のつもりもなんにもないんですが、
結果的に、ものすごく無責任な行為をしていることに、
気付いていないんでしょうね。