ルーティン化した感情の流れ、を意識したい。最新メルマガは、「私が70才になったら」
先週の「いどばた。」のお題は、「ルーティンを破ってみることありますか?」でした。わたしは、もう、ほんとに何事もすぐルーティン化してしまうタイプで同じ場所に同じ道を通って同じ乗り物にのって通いつづけるタイプ。ところが、じじょうくみこさんは真反対で、島に嫁ぐ前など「帰宅ルートを毎日変えて」いたそうなんですよ。いやあ、世の中には、ルーティン化とは無縁の人がいるんだなと改めて思いました。わたしもちょっとルーティン破りしよう。みなさんは、いかがですか。
感情にもルーティンがある、と思います。
わたしの幼なじみは、複雑な家庭に育ち、若いころ親兄弟のことで苦労したので長電話の後半は必ずその話題になります。特に「いろいろしてあげた」(これは事実)のに、「感謝もされていない」ことが怒りを増幅させ、なんとかして相手にぶつけたい。ぶつけてみたら、思ったような反応が得られない…そんな不全感と体調不良が重なると過去の遺恨へとどんどんどんどん感情が向かってしまうようです。
こういった負の感情を抱えることは、もちろんハッピーではないのですが、「あふれでる怒りや恨みに浸りきる快楽」が多少なりとも存在し、現実からの逃避先にもなりうるため、自分の思考をそっち側へ向かわそうとする力も働くもの。わたしにも覚えがあります。そして、それを何度も何度も繰り返す(ルーティン化する)うちに、太い太い感情の流れができてしまって、あらゆる支流がそこへ流れこむ大河になってしまうのです。最後は、轟轟と流れる水音に外界のどんな声もかき消され、自らも溺れ、流されてしまうことだってあります。
年とともにふと感じる寂しさもそうですね。寂しさを入口にどんな方向に自分の感情を持っていくのか…そのルーティンが今後の日々多少は左右する気がします。
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権太
叔父の葬儀で、親族が集まり、昔話の中でまあいろんな話が出てきました。
分家の叔母は言いたいことが山のようににあるのだけれど
本家には言えない。なので私たち夫婦が聞き役に。
50年間積もりに積もった負の感情で叔母は生きてるんだなぁと。
たった一世代前の事なんだけど、嫁姑の話は壮絶というか、姑の力の強さというか
昭和初期の頃の話はびっくりすることばかり。
「あなた達には私が死ぬまでに言っておかないといけないことがあるの」と。
まったく血のつながりはないけれど、とても馬のあう叔母。
負に溺れず生きていって欲しいな。
nao
私の両親は2人とも物心つく前に自分の親を亡くして親戚のところで育ちました。
まあそれなりに苦労はしたのですが
「お母さん、その話百万回聞いた」と言いたくなるくらい何度もいろんな苦労話を聞かされました。
何度話しても、ついさっき起きたかのように臨場感があり
それはいつまでたっても薄れるとか消えるとかいうことはなさそうでした。
わたしにはそんな情熱をもって話せるような経験はありません。
それはつまんないかもしれないけど、幸せなことなのでしょうね。