〈 晴れ 時々 やさぐれ日記 〉 「 ああ、ルージュ。饒舌と寡黙のあいだ 」
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
〈 そうだ。やたらと威張るな。口をあけて、はっきりものを言え。ものを教えろ。〉 こう口の中で練習したのち、私は老人に応えて立ち上がり、練習した通り言いたかったのだけれど、昨夜よく眠らなかった黄ばんだ顔に口紅もささずに出かけてきている自分に気がつくと弱気になり、うつむいてしまった。
口紅をさすと元気が出るのだ。口論になりそうな場所へ出かけなくてはならないときは勿論、交番や警察へ出かけていくときも、税務署へ行くときも、字を書くときも、口紅をさしてからだ。 ( 武田百合子 『 日々雑記 』より )
そう。武田百合子のようなエキゾチックな美人なんかではないわたしも、口紅をさすと元気が出ます。口紅をささないとどんでもない忘れ物をした気に…なる。
わたしの高校時代、『なんとなくクリスタル』で世に出た田中康夫氏。「クリスタル」からほぼ15年後の阪神大震災の際のボランティア活動で、意外な一面を見ました。交通網の分断された被災地に500CCバイクでいち早く支援に入り、救援物資の支給などの采配を振るったとか。中でもわたしの記憶に残るのはシャネルの口紅。避難場所の女性たちに、かなりの数の口紅をおくったというエピソードです。
この行動には賛否があったと記憶します。物資が圧倒的に不足している被災地に、口紅などとけしからんという非難は、主に男性の側から。早朝の地震で身支度どころの余裕もなく避難を余儀なくされた女性たちからは感謝の声が。たかが口紅、されど口紅。「これでがんばれる」という女性ならではの心理に、クリスタル氏はさすがの慧眼だとわたしは思いました。
「くだらん」と吐き捨てる口もあれば 「ありがとう」と吐息を漏らす口もある。そういえば、ちょっとおどろおどろしい「呪い」という言葉も、ちょいちょいと偏を変えれば「祝い」になる。せっかく口を開くんなら、「呪い」より「祝い」がいいよなーと、そんなことをぼんやり考えることがあります。
国会中継を見ていると、それはもうどの口も饒舌です。かの田嶋陽子先生でさえ、初の答弁では気の毒なほどのしどろもどろを演じた舌鋒の最前線。フィギュアスケーターが薄いエッジに渾身の力を託すのと同じような、いやもしかしたらそれ以上の緊張感と戦いが、あのクラシカルな議場にも充満しているのでしょう。
はなしがあまりに卑近になりますが、先週ここに書かせていただいた我が家の冷戦。たいした進歩や発展もなく、ぐずぐずともとの平熱をとりもどしつつあります。コメントであやめさんが、「子どもが電池をつないでくれることがある」と書いてくださいましたが、まさにうちでも、冷戦の原因となった子ども本人が、今度はその冷戦の修復に一役二役買っている気がします。
あやめさんとのおしゃべりでは、劇作家の平田オリザさんの『わかりあえないことから― 』( 講談社現代新書 )の中の「みんなちがってたいへんだ」についてやりとりをさせていただき、たいへん楽しゅうございました。わたしが先週書いた「みんなちがってさあたいへん」という文句は、あやめさんのご指摘どおり平田さんのこの著書からの感化があります。
自称転勤族の我が家は、山口在住10年を更新中で、小学四年の子どもは今年、社会科で郷土の偉人として金子みすずさんを学んだようです。それに先んじて二年のときには、国語の教科書に「わたしと小鳥と鈴と」が掲載され、あの有名な「みんなちがってみんないい」のフレーズは、子どもたちの中にもごく自然に浸透している印象です。先生の指導案には、個性の尊重、多様性の受容、そんな文句があるでしょうか。
たまたま、香山リカさんが某所で行われた講演の中で、「変な金子みすず」という表現をされるのを目にしました。香山さんがおっしゃるには、今の若者は「みんなちがって、みんないい」というこのフレーズを、「みんな、それぞれに、素晴らしくないとダメ!」と解釈している傾向があるとのことでした。この講演は都市部の苛烈な受験に挑む保護者を対象に行われたもののようで、その背景から生まれる今の若者特有の生きづらさを語られたことの中に、この「変な金子みすず」の説明がありました。
「みんな、それぞれに、素晴らしくないとダメ!」。そういう上方修正的な、強迫観念に近い解釈は、少なくともわたしの中にはまったくなかったもので、それよりむしろもうひとつの「変な金子みすず」である、「みんなちがってみんないいんだから、よけいな口出ししないでね」の方に、え?大人気の「つながり」や「絆」はどこへいったの?と首をひねっておりました。同じ詩の一節をめぐる理解のちがい。そういえば犀星の「ふるさとは遠くにありて思うもの」も、かなりの理解のはばのある表現でしたっけ。
よってたつもののちがい、前提のちがい、でしょうか。話せばわかる、というコミュニケーションの前提を崩したところに平田さんの『わかりあえないことから― 』はあって、この前提の大どんでんがえしから、むしろよりよい対話の可能性がひらけることに、目から鱗が落ちる思いがしました。
昭和のはじめの山口の漁村の一角で、20代の女性がひとり、詩作を通じ、中央詩壇に向け「小鳥も鈴もわたしも みんなちがってみんないい」と主張する勇気は並大抵のものではなかったと想像します。 不遇な中に短い一生を終えた彼女の 残された数少ない写真を見るにつけ、金子みすずというひとりの女性が、童謡という素朴な形式に託した自由への希求の熱さに感じ入ります。
彼女の時代から比べれば、個を主張をすることが当たり前に許され、ありとあらゆるコミュニケーションツールを手に入れたわたしたち。さて、この饒舌の振り子はどこへ?
わたしは口紅が好きです。今までいったい何本の口紅を手にしてきたでしょう。うちにいて、ドアフォンが鳴れば口紅をちょいと塗ります。印鑑を右 口紅を左に手にとって、うっかり印鑑を口元へなんてことはしょっちゅう。外出先ではバッグの中の口紅がお守り代わりです。
外出といえば、 YUKKEさんご自身のブログの「フラワーセラピー」の記事にとても共鳴。お友達って、いろいろ難しいところがありますよね。おしゃべりしたいこととしたくないことって、なかなかこう口紅のボトルとキャップのようにカチッとは合ってくれない。だから大事。こうしてお花を買いに連れ出してくれるお友達って、とてもとても大事。
Tomi*さんの赤い口紅にもはげしく膝を打ち。最後の仕上げ的ルージュ、黄味よりでもない 青味でもない わたしにちょうどよいワンポイントのルージュって、どうしたって大事よね!と 大いに合点。
口元のきれいな女優さん…と思い浮かべてみると、なぜかしら少し年配の女優さんの口元が思い浮かびます。八千草薫さん。吉永小百合さん。お二人とも花びらのようなふっくらとした口元で、そこからこぼれる言葉はややくぐもった声のまろやかな言葉である気がします。
口は災いのもと。物言えば唇寒し 秋の風。 わたしなど 桜花のほころぶ春の季節にも夫婦の間に秋風を吹かせまくっておりますが。
もの言えば唇がほころぶ春の風のような あの方この方の口元を思い描いて、「言うべきことと 言わないことのあいだにも線を引こう」「そうだ、せめて、唇に潤いと歌を♪ 」と今朝も鏡の前で口紅を手にします。
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あ き ら
「変な金子みすず」に膝を打ちました。ダメダメでも全然いいんだ、どーせ死ぬ頃には只の年寄りになっちゃうよというような意識は案外たいせつかもしれません。だらしなくても残念だらけでもいいじゃないか!と口に出してみたり(笑)。書いてくださっている文章の趣旨と少しずれてしまっていて、すみません。
ともかく、おかげでオリザさんのご本をポチしました。たのしみです♪
ドーリー
『ジェネラル・ルージュの凱旋』という映画を思い出しました。
映画では、大きな事故によるパニック状態の病院で、男性医師が弱気を悟られないために女性看護師の口紅を使ってました。
Tomi*さんの赤い口紅でも思いましたが、私もちゃんと気に入った口紅(お手頃価格だからまぁいっか…じゃないもの)が欲しくなりました。
冬のインフルエンザから春の花粉対策まで外出時にはマスクをするものだから、最近ずっと無色のリップクリームのみ生活。
まずは「おだやかで優しい私にヘンシ~ン」出来そうな、いつもより明るいキレイな色の口紅を買おうかな。
YUKKE
サヴァランさん、ありがとう。
私のおばあちゃん、病院のベッドでなくなる前日まで口紅と眉かいてました。
どっちか一つって言われたら、困るのでお婆さんになる前に眉は刺青にして、ルージュだけ死守したいわ。
爽子
口紅って、あれこれ使ってると、なかなか減りませんよね。
付け直す習慣がないからでしょうか。
メンソレータムの色付きリップを買ってから、余計にちゃんとした口紅から遠ざかってるかもしれません。
しっかり色がのるもんで・・・。
本当なら、いろいろと修正が要る年頃ですが、なんだかどんどんお化粧が薄くなってきてます。
口紅を塗ると、顔全体に活気が出るんですよね。
花びらのような唇から、優しいことば「だけ」を出せればいいなあ。
現実には、ほぼ不可能です。が・・・。
サヴァラン Post author
あきらさま。
コメントありがとうございます!「変な金子みすず」、反応いただいてうれしいです。「みんなが素晴らしくなくっちゃいけない」なんてことはない。ダメダメでもいい。残念でもいい。いや。あきらさまはワタシとは違うと思いますが。変な縛りや枠でくくらず、「大きな金子みすず」で、いいですよね。わたしたち「大人」ですもの。
うちには小学生の息子がいて、最近とみに思うんですが、「みんなちがってみんないい」にしろ「はなせばわかる」にしろ、人生前半戦のルールと人生後半戦のルールは、どこかでくるりと反転していいんじゃないかと。それ、公認ルールにならないかなーと。
サヴァラン Post author
ドーリーさま。
コメントありがとうございます!
『 ジェネラル・ルージュの凱旋』、わたしは知らなかったんですが、あら、今話題の堺雅人くんが出てるんですね!彼の熱狂的ファンがわたしの周囲には結構多くて、みんな悶絶しております。なんと、この映画の中では、あのクールな印象の堺くんが「ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)」とはこれはまた。
そうですか。そういうルージュの使い方がされるんですか。うーん、おもしろそう。観てみます!
マスクの下の口紅は不要!ですね。歯医者さんでもいやがられそう。むかしむかしそのむかし、ウエディングドレスを着たときに、ヴェールを顔に被せて歩くと、ヴェールが口紅まみれになるので、手にしたブーケで顔とヴェールの距離をつくるテクニック(?)を教わったことを思い出しました。
「口紅のとき」という角田光代さんの作品を読みました。女性の一生にはいろんな「とき」がある。だからこそ、この春を彩る口紅、わたしも欲しいです。わたしも「穏やかで優しい私にヘンシ~ン」できる色を選んで、息子の「怪獣ママゴン」呼ばわりを返上したいです!
サヴァラン Post author
YUKKEさま。
こちらこそ ありがとうございます!
おばあさま すてきです。。。
わたしもルージュのことを書きながら、ルージュと同じくらい大事なのは眉だわ~と思っておりました。
YUKKEさま、さすがにご準備がいい。そうか。刺青っていう方法がありますね。
わたし、以前に入院をして、緊急手術となったときに、手にも足にもマニキュア&ペディキュアで、ストレッチャーの上で四方八方から爪の色を落とされた経験があります。「すみませ~~ん。」って謝って、「いんですよ。」とそのときは言われたんですが、その後入院中にこっそり爪を塗って、そのときはしっかり「ダメでしょ。」とお叱りを。
あれはわたしがいけない子だったんですが、ケースによっては病院が、女性の心理に理解を示してくれるということも これからはあってもいいかな~なんて、思ったりします。
サヴァラン Post author
爽子さま
コメントありがとうございます!
メンソレータムの色付きリップ、色がちゃんとのるんですか!それ、試してみます!
わたし、冬のあいだ中、左側の下唇が荒れるんです。皮膚科にも行って、毎年いろいろ試しますがなかなか改善せず。口紅のせいかも知れないから口紅やめるか、メーカーを変えなさいって、お医者さんに言われるんですが、なかなか言うことを聞けない悪い患者です。
わたしは結婚してから、口紅を最後の最後まで使い切るようになりました。そして、たいてい一本きりで、それオンリーで通すように。わたしの場合はすべて経済的な理由ですが、「これ一本」にはけっこう入魂です。だから、お医者さんの言葉もスルーーー。唇の荒れより「活気」優先。
どんどんお化粧が薄くなるって、それとても素敵です。わたしも結局、自分の顔にはしっかりくっきり色ののる口紅より、シアーな透明感のある口紅がしっくりくるな、とケツロンしています。お化粧品カウンターで「赤ちゃんみたいな唇に見える口紅ください」って言うオバサン、けっこうキモイかも。
口紅は「これ一本」にできましたが、口から出す言葉は「優しい言葉」オンリーにはなかなかできず。そうはおっしゃっても、爽子さまはおできになってると思うなー。わたしはまだまだ修行の身です。。。