エピソード8★16歳の東京生活。
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしいエピソードをご紹介していきます。
【エピソード 8】
昭和2年、新潟県S町で生まれ育ったサキさん。
地元の女学校を卒業した後、東京の専門学校に進みました。昭和18年、16歳で東京での下宿生活が始まります。戦争が激しくなるまでの短い東京での生活でしたが、そこでサキさんが見たものは…?
本来なら、サキさんも、兄や姉が学生時代を過ごした憧れの東京、しかも宮城(今の皇居のことです)に近い東京のど真ん中で下宿という、楽しい学生生活となるはずでした。しかし、サキさんの東京での学生時代は戦争の真っただ中、戦況はどんどん悪化していく時代でした。
授業はまだ通常通り行われていたそうですが、とにかく食べ物が徹底的に不足していました。授業中も、下宿に帰ってからも、お腹がすいてすいて…。70年以上たった今でも、何を学んだかはほとんど覚えていないけれど、その空腹の記憶だけは忘れることができないと言います。
当時の下宿生活は当然賄い付きです。つまり、下宿で出されたものしか食べられません。外に出ても、食べ物など何も売っていません。たまに実家から食料が送られてくるのですが、みんなで分けることが決まりで、自分だけ食べるわけにはいきませんでした。
そうなると、自分の食べられる量は本当に少しです。故郷の新潟は農家も多く、食料はまだまだ豊富にあり、サキさんは東京に来て初めて「飢える経験」をしたのです。一番食べ盛りの頃ですから、本当に辛かったそうです。
夕食が、さつま芋のかけらが一つ入っただけの白湯のようなスープ一椀では、どんなにゆっくりかみしめて食べても、食べた気がしなかったそうです。
いもがゆ。サキさんの食べたものにはこんなにたくさん
米も芋も入ってなかったはず(立命館史資料センターHPより)
しかし、そんな強力な“飢え”の思い出を超える記憶が、サキさんにはありました。
それは、靖国神社に参拝にくる青年たちの姿です。
当時の日本人は、神社のそばを通ったら必ずお辞儀をするものでした。それは、子どもの頃から当然のこととして教えられた、体にしみ込んだ習慣でした。特に靖国神社は、戦死した方を祭ってある神社ですから、老若男女、そばを通る時は必ずお辞儀をし、少しでも時間がある時は境内に入りお参りするのが当たり前でした。
靖国神社はサキさんの下宿と学校の途中にあり、サキさんは毎日靖国神社の横を通る時にお辞儀をし、時間がある時は境内に入ってお参りして通学しました。
そのように、靖国神社に参拝する人はたくさんいましたが、一人静かに参拝している若い男性は、見ているこちらが何か「はっ」として、思わず立ち止まり、見つめてしまうような空気が漂っていたとか。それは張りつめた凛とした空気なのですが、サキさんには、一人で参拝する皆さんの背中に、夕暮れ時の心細さのような、物悲しくて寂しくてうまく表現できない気持ちがあふれているように見えて仕方がなかったそうです。
そう感じてしまったその時の感情は、今でもはっきりと覚えていると言うサキさん。きっとあの青年たちはこれから出征する方々だろうけど、みんなに万歳三唱で見送られる時と、一人靖国神社を訪れる時では、自分自身を見つめる気持ちが違うんだろうか…と、感じたそうです。そして、その青年たちに、陰から手を合わせ何を祈ってよいのかわからないまま、ただただ頭を下げていたと言います。
靖国神社(ニコニコ大百科より)
16歳、多感な思春期の女学生は、多くの青年たちを見つめ、言葉にできないながら複雑な思いを強く感じていたのでしょう。
そんな多感なサキさんでしたが、思春期の空腹に耐えかねて、入学してわずか半年で新潟に帰りました。両親から「東京は危ない、特に宮城の近くは敵に狙われる」と新潟に帰るよう言われてもいました。学校を退学しましたが、戦況はますます悪化、2年後の東京大空襲で九段下一帯、学校も焼失しましたから、どちらにしても卒業することはかなわなかったでしょう。
学校をやめて学生でなくなると必ず勤労奉仕をしなければいけない時代でしたが、とにかく命が助かったわけですから、ご両親のアドバイスのおかげと言えます。
サキさんはその後、お嫁に行って二男二女をもうけ、いろいろな経験をしましたが、ご年配になった今、何度も記憶に蘇るのは靖国神社で祈っていた青年たちの姿なのだそうです。
- トップの写真/佐藤穂高(広島在住のプロカメラマンです)
- 有限会社シリトリアのHPはこちらから
★月亭つまみとまゆぽのブログ→「チチカカ湖でひと泳ぎ
★ついでにまゆぽの参加している読書会のブログ→「おもしろ本棚」よりみち編
つまみ
最近では、物議を醸し出すランドマークの感すらある靖国神社ですけど、当時の市井の、特に近所に住む人にとっては、おごそかだけど身近な場所で…いや、現在でもほとんどの人にとっては、そこに思想や主義などは介在しない、ある意味、シンプルな場所なんだよね。
それは靖国神社に限らず、国でも民族でもそうなんだ。
ありもしないものに名前をつけたり、幻想を恐れたり、既得権益に躍起になったり、自分だって、そういう生臭い世界の一員だけど、亡き母と同い年で、当時の境遇が母と少し似ているサキさんのまっすぐな思い出に、自分の生臭さは意識せねば、と思いましたです。
カリーナ
まゆぽさん
こんにちは。まゆぽさんの記事は毎回、昨年の末亡くなった母と年齢を照らし合わせて読んでいます。「ああ、母と何歳違いだ」「母はこのころ…」みたいな感じで。だから、どれも親しく感じます。
母は、貧しい家の出身だったので、その母の社会的な立場にも思いを馳せます。今回の記事、サキさんの見た風景、心に刻まれた風景が、そのままのカタチで伝わってきました。靖国神社を思うとき、必ず思い出すことができそうです。感謝。
まゆぽ Post author
つまみさん
何かと落ち着かない中、コメントありがとね。
靖国神社は今の仕事場からも徒歩5分のところにあり、
お花見やら紅葉やらの時に通り抜けるには絶好のロケーションです。
人の思いはそれぞれでさまざまで他人には思いも及ばないものだけど、
その場所自体に何かが宿っている訳でもなさそうなので
(地霊とかいうものがあるらしいけど)、
自分の思いたいように思って、見たいように見ていればいいんだよね〜。
お母様と同じ年齢ですか、サキさん。
同じ時代の乙女、会って話をさせてみたかったような気がします。
まゆぽ Post author
カリーナさん
お母様のお悔やみを申し上げようと思いつつ、
時間が経ってしまいました。
今さらながらですが、心からご冥福をお祈りいたします。
お母様にはお母様の乙女時代があって、
いろいろな心模様がおありだったんでしょうねえ。
話してみたかったなあ、カリーナ母さん。
靖国神社の横を通る時に、
私もその時代の青年たちや乙女たちを思い出すことにしましょう。
こちらこと、感謝、です。