この不安はいつまで続くのか。
開高健がかつて書いていた文章のなかに、自分が歩く後から後から、得体の知れない焦燥のようなものが追いかけてくる、という意味合いの文章があったと記憶している。しかも、それが若い頃だけのものだと思っていたら中年期を越え、初老を迎える頃になってもずっと同じように続くのだ、と。エッセイだったのか、小説だったのかそのあたりが曖昧なのだが、その文章を読んだときに、まだ二十代の前半だった僕は慄然としたものだった。そうか、この人生の焦りのような得体の知れないものは、これから先の人生もずっと続くのか…。そう思うと居ても立ってもいられない気分になり、かといってどうすることもできずがっくりとうなだれた。
そして、いまそれが真実だったのだと思い知るのだった。わざわざover40(40歳以上)と名付けられたサイトなので、二十代三十代でこの文章を読んでいる人がどれだけいるかわからないのだけれど、あえてお伝えしておくと、本当にその通りなのだ。いまあなたが感じている人生に対する焦燥感や、何かが後ろから追いかけてくるような妙な恐怖は、これからも去ることはきっとない。一つが解決しても、きっとまた別の何かがあなたを追い立てるに決まっている。そして、それが人生を豊かに、などと思い上がったことを語り始めてしまった人間という動物の性なのである。
そんな生きることに伴う恐怖は、人から平静を奪う。平静を奪われると、日々の暮らしが揺らぐ。誰だって落ち着いた毎日を送りたい。だからこそ、バランスを取ろうとする。必要なことは聞き取り、それ以外のことには耳をふさぐ。目を閉じる。それなのに、それを脅かすような声が聞こえることだってある。
ものすごくシンプルなことだけれど、たとえば、自分が他人よりも劣っているなんて誰も思いたくない。思いたくはないけれど、周囲には才能にあふれた人たちがたくさんいる。すでに成功を手にしている人に対しては諦めがある。どうぞ、先に行ってください、と態度で示すことができる。しかし、いままで自分と同じ場所で同じように笑っていた友人知人が突然「実はこんなものを作っていたんだ」と予期せぬ何かに打ち込んでいたりすると、心底驚いてしまう。そして、言葉では「すごいなあ。それは世の中にでていくものかもしれない」と言ってみたりする。
でも、「頑張れ、応援している」というのと同じくらい、いや、もしかしたらもう少し強い圧を感じるくらいに「どうせ無理だ。世の中そんなに甘くないぜ」と思ったりもしているのだった。
人は面白い、と前回書いたけれど、同じくらいに人は恐ろしい。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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