8月になると思い出すこと。
もうすぐ7月が終わり、8月がやってくる。お盆という行事を中心に夏休みがある、という感覚なので、どうしても8月は生き死にや家族や故郷や、ということを考えてしまう。
個人的にはなんとなく家族との絆を自ら希薄にするような生き方をしてしまったので、すこし後悔しているところがあるのだけれど、それでも自分に家族ができると、どうしても「これからの家族」ということを考えてしまう。
この春に息子が家を出て、京都の大学へ行き、娘が大学の卒業制作を控えて、あまり家にいなくなり、しかも、僕自身が東京と大阪を行ったり来たりしているので、少しずつ形を作ってきた家族が固体から気体にかわったように、ふわっと姿を変えたような印象がある。
そして、京都で夏を迎えている息子をふと思うときに、同じ歳の頃に、京都で映画の撮影をしていたことを思い出すのである。
『往生安楽国』『金閣寺』『本陣殺人事件』などで知られている高林陽一監督が35ミリの自主映画を撮る、ということで監督が顧問をしていた映画の専門学校の学生やOBが集められたのだった。
僕は助監督としてそこに参加した。
映画のタイトルは『彷徨~魂遊び(たまあそび)』。京都の祇園で舞妓さんの顔を白く塗る顔師である、奥山恵介氏を主人公に迎えたドキュメンタリーとフィクションがない交ぜになった作品だった。おどろおどろしい人形と、人間との世界が境界線なく描かれた、不思議な作品で、おそらく撮影している間、この作品がどんな仕上がりになるのか、誰も明確には理解できなかったのではないだろうか。
撮影は1985年の春先から行われ、夏真っ盛りの8月は、京都の山間部での撮影が続いていた。そして、ある日、昼の休憩時間にぽつんとあった食堂で昼ご飯を食べている時に、テレビのニュースで日航機が墜落した、というアナウンサーの声を聞いた。
人の生死の境のようなものを描く映画を撮っているときに、たくさんの乗客を乗せた旅客機が落ちた、というニュースはなんだか普通に歩いていて突然巨大な壁にぶち当たったような、そんな気分にさせた。
お盆があるので、なんとなく8月には人の生き死にについて考える機会は多かったのだと思う。でも、映画の撮影中に聞いた日航機墜落事故のニュースは、それ以降、毎年8月になるとはっきりと「死」を意識させることになった。
ここ数年は特に、6月の終わりに父が亡くなり、7月に映画を監督していた高林陽一監督が亡くなり、8月には文章を見てくれていた富田倫生さんが亡くなり、僕にとっては8月はまさに死と直結する季節になってしまった。
今年も8月がやってくる。
30年以上前の暑い夏の日に、なんの変哲もない京都の山奥の食堂でぼんやりと見た「日航機が墜落しました」というニュースの声と、その後、撮影を続けながらぼんやりと見上げた真っ青な空と、そして、その季節の周辺に亡くなった大切な人たちの匂いのようなものを引き連れて、今年も8月がやってくる。
しかし、それはただ単に死をイメージさせるだけのものではなく、そこから続く人生であったり、芽吹きであったりを予感させるだけに、余計に切ない。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
カミュエラ
全くの赤の他人が亡くなったニュースでも、その時のシチュエーションで、いつまでも忘れられない出来事になることがありますよね。
毎年思い出したりはしないのですが、私の場合は20年前ダイアナ妃が事故死した時のニュースがそれです。
夫との旅行先で夕方お酒を飲んでいたら、つけっぱなしのテレビから突然そのニュースが流れてきたのです。ロイヤルファミリーに特別興味があるわけでもない私でも、ショックを受けました。と言っても、その時のことを鮮明に覚えているのは私だけで、夫は全く記憶にないのです。
そのころ夫と暮らし始めて間もないころで、新しい生活に夢や希望や逆に不安などを抱き、気持がパンパンに膨れていたころでした。なので同じような年ごろのダイアナ妃の恋の結末に単純にショックを受けたのだと思います。
同じ場所で同じ体験をしても記憶にどう残るかはほんとに人それぞれ・・・・おもしろいです。
uematsu Post author
カミュエラさん
情報の入って来るときの状況とか、周囲にいる人たちとか、自分の気持ちとか、そういうもので、受け取り方というか衝撃度は変わりますね。
さらに、その時は「ああ、そうなのか」程度に受け取っていたのに、後々、時間がたつほどに大きくなっていくことがあったり。
本当に不思議です。
アメちゃん
あの日、たしか東京に住む兄が結婚してすぐのお盆で
奥さんとそのお母さんと3人で、飛行機で徳島に帰ってきたんです。
羽田で、兄の便はあの飛行機より後の便だったので、
ロビーにたくさんいた人達が(飛行機に搭乗したために)居なくなったなぁ……と
兄は思ったそうです。
そんなこともあって、私自身はこの事故となにも関係ないんですけど
なにか心にありますね。
毎年「今年もあの日がきたなぁ」となんとなく思います。
uematsu Post author
アメちゃんさん
なんか不思議な感覚ですよね。
ニュースで見ただけの出来事なのに、
ふっと感じた「自分の身にも起こり得たかも」とか、
「あの人が乗っていたらどうしよう」とか、
ほんの一瞬感じたことが、
いつまでも消えずに、心の中にあったりする。
本当に人は不思議です。