なぜ人は、自分が嫌いな人になるのだろう。
誰しも、こんな人にはなりたくない、という人物がいるのではないかと思う。具体的に実在の人物の場合もあれば、こんな人がいればというイメージの場合もある。
けれど、はっきりと、時にはぼんやりと、「こうはなりたくない」という人物はいるのではないだろうか。そして、ほとんどの場合は、それは自分とは正反対の人物であるはずだし、そう思いたいはずである。だって、嫌いなんだから。
しかし、である。時々、自分の中に「こうはなりたくない」と思っている人物が見え隠れすることがある。おそらくではあるけれど、もしかしたら、自分がそういう人物になりそうな素養なり気配があるからこそ、「油断するとやばいぞ、そういう人物になってしまうぞ」という人物像を「こうはなりたくない」と声高に掲げてしまうのかもしれない、と最近思うようになった。
なぜ、そう思うのかというと、最近になって自分の知人や友人の中に、自分が掲げていた「嫌いな人物」「こうはなりたくない人物」にあっさりなってしまう人が一定数現れてきた気がするからだ。
僕は今年56歳になるのだけれど、このくらいの歳になると、周囲もなかなかにいい年をした者ばかりである。人間、いい年になると、だんだんと自分で自分を律することができなくなり、妙にだらしなくなってしまう人が増えてくる。
いや、50代にならなくても、40代あたりから増えてくるという実感がある。なんだか普段と違うトチ狂い方をしてしまい、よくよく見ると、「それ、あんたが嫌いだって言ってたあの人そっくりだぜ」という感じ。
そういうのを目の当たりにすると、やっぱり人は自分の中にある「嫌な部分」を敏感に察知して、「こうはなりたくない」と言い始めるのではないかと思ってしまうのである。
さて、どうしたら、自分の嫌いな人物にならずに済むのだろう。正直なところ、よくわからない。わからないけれど、おそらく、自分の仕事に誇りをもって、人にせいにしないで生きていくしかないのではなかと思う。
自分だけが苦しい、と思った途端にダークサイドに墜ちてしまう。ダークサイドに墜ちたら、人を羨んだり妬んだりする他ないのだ。そして、そうなったら我を忘れてしまう。我を忘れてしまったら、すべてを他人のせいにするしかない。だって、責任を課す自分がいないんだから。
怖いし、そんなに自信もないけれど、やっぱりダークサイドに墜ちないように、頑張って生きるしかないのだろうと思う。ああ、生きるって怖い。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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ほっこり
確かにそううですねー
気づきませんでしたが、
人のふり見て我がふり直せ!
ってことですね
ほっこり
思い当たる節が・・・
人のふり見て我が降りなおせ
というところでしょうか。
困ったことに簡単には直らないんですけどね。
uematsu Post author
自戒を込めて(笑)
ほっこり
二重にコメントしてしまい失礼しました。
uematsu Post author
ほっこりさん
ぜんぜん大丈夫ですよ。
ありがとうございます。