夏の終わりの静寂。
夕闇迫る路地裏を歩いていると、枯れ葉のようなものを蹴飛ばしてしまう。カサッと乾いた音がしたかと思うと、ふいに、ジジジジッと声がして蝉だということがわかる。事切れる直前の蝉に驚きながら、そういえば毎年、こんな瞬間に夏の終わりを感じていたなあと思う。
夏の終わりはいつも突然だ。今年のように容赦なく暑い日が続くと、余計にそう感じるのかもしれない。
高校生の頃に、開高健の『夏の闇』を読んだとき、冒頭の「あの頃も旅をしていた」という一文にやられた。夏という文字が入ったタイトルの小説で、「旅をしていた」という追憶がつぼに入ってしまい、しばらくそこから読み進めることが出来なくなってしまったのだった。
事実とは違うのかもしれないけれど、夏の終わりはとても乾いている気がする。湿気がないという乾き方ではなく、命が抜けて干からびているという感覚に近いのかもしれない。『夏の闇』を読んで、そんなことを思ってしまったのだった。
夏の終わりは寂しい。特に父を夏のはじめに亡くし、恩人を盛夏に亡くしてからは、その感がますます強くなっている。もちろん、風習としてのお盆や広島や長崎の原爆投下記念日、終戦記念日と、夏には死と密接に関わる行事や記念日が多いことも理由だと思う。毎年、汗をかきながら寺の境内を歩き、祖先の墓を参っていれば、知らず知らず夏と死は密接な関係を持つのは当然だろう。
そして、僕の誕生日は11月なのだが、例えば、学生時代に親しい友人が遠い町へ引っ越していくのは、決まって夏休みだった。彼や彼女の誕生日を一緒に祝い、「次はお前の誕生日だな」と話していたのに、僕の誕生日を待たずに友人が遠い町へ引っ越していってしまう。そんな経験が何度かある。そのせいか、誰かと親しくなっても、「僕の誕生日まで、この関係はもたないかもしれない」という思いが強くなってしまうのだ。
いままで経験したことがないような酷暑になり、驚くような集中豪雨が襲い、大阪には地震まであった今年の夏。まだまだ暑さがぶり返すことはあるだろうけれど、確実に夏は過ぎ去っていく。そんな夏の終わりに、またいくつかの別れを思い、それでも続く人生に歩みを進めようと汗を拭うのだった。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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