【エピソード30】キクコさんの人生に寄り添う万年筆。
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている
「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしい
エピソードをご紹介していきます。
携帯やパソコンが普及する前、世の中の筆記具は今よりもっと活躍の場が多かったように思います。とりわけ、あらたまったときに登場するのが万年筆でした。手紙や日記、契約書類――大学入試の筆記問題や論文でさえ、昭和50年代頃までは、万年筆限定という大学もあったようです。鉛筆やボールペンを持つときとは違い、握って紙に向かうだけで背筋の伸びるような気がした、ちょっと大人の筆記具。今年94歳になるキクコさんにも、万年筆には特別の思い出があります。
●父の死で就職を決意
大正14年生まれのキクコさん。7人兄弟の次女としてH県に生まれました。両親と、兄2人に姉1人、弟妹が3人と、当時としてはごくふつうの家族構成。お父さんは地元で自転車屋など商売を手掛けていて、キクコさんが幼かった昭和10年前後には、まだ珍しかったオートバイを店で扱ったり、自宅をベランダ付きの二階家にしたり。そんな新しもの好きの父親と、物静かだけれど思いやりあふれた母親に囲まれ、たくさんの兄弟たちと陽気に暮らしていました。
しかし、やがて日本は戦争の暗い時代へと突入していきます。キクコさんの長兄は海軍兵として東南アジアに出兵し、その戦時下、病弱だったすぐ上の姉と父が相次いで他界。実質的に長女となったキクコさん、父親の死をきっかけに就職を決意しました。知り合いの紹介で、保険会社の事務員として就職。それまで通っていた全日制の旧制中学校を定時制に編入し直し、昼間はお勤め、夜は学生をしながら、次兄と一緒に家計を支えました。
まだ十代半ばの女の子だったこともあり、保険会社の人たちからは本当に良くしてもらった――キクコさんは戦後もいくつかの会社に勤めますが、社会に出た初めての場所がそんな温かな環境だったことは本当に幸せだったと振り返ります。
●長兄からプレゼントされた万年筆
当時、仕事をする上で万年筆は必需品でした。キクコさんが大事に使っていた一本の万年筆。それは、海軍に所属していた長兄が休暇で帰省したときに、キクコさんにプレゼントしてくれたものでした。どこかに寄港したときに買い求めたものらしく、小ぶりながら貝細工が施された、それはそれは美しい万年筆でした。
長兄が特別に注文してくれたのでしょう。本体にはローマ字でキクコさんの名前も彫られていました。もちろん当時の万年筆はカートリッジ式ではありません。書けなくなったら、その名前の脇の金属を持ち上げ、内蔵されたスポイトの部分をインク瓶に差し込んでインクを充填します。
そうしたシンプルな造りだからこそ、どこにでも持ち歩けて、いつまでも使える。万年筆とはよくぞ名付けたものです。十代の少女の頃から三十代で結婚するまで、その万年筆はずっとキクコさんの手元にありました。
●今もキクコさんの大切な宝物
やがて、手紙や葉書も、万年筆ではなく手軽にボールペンを使う時代へと移り変わります。それでもキクコさんにとっては大切な宝物でした。中のスポイトが破れ、貝殻細工の部分も色あせてしまったけれど、キクコさん愛用のペンケースの中でプラスチック製のボールペンや鉛筆と並んで、それはまるで宝石のように厳かに横たわっていました。 もともと字を書くことが大好きだったキクコさん。結婚してからも通信教育の走りのころ、速記やペン習字の教材を取り寄せて勉強していたそうです。今は施設に入り、レクリエーションで書道や絵手紙を楽しみます。「キクコさんは本当に字がお上手ね」と介護の人がほめてくれるの、お世辞でもうれしいわねとキクコさんは笑います。
万年筆をプレゼントしてくれた長兄とキクコさんは10歳違い。年が離れていたことに加え、読書や文章を書くことが大好きな自分とも共通点の多いこの妹を、長兄はとりわけかわいがってくれたということです。まだ勉強も遊びもいっぱいしたかった年齢のときに、家族のために早くから社会に出て働いた妹への、お兄さんからの優しい労いの贈り物だったのでしょう。「大変だったね、えらかったね、キクちゃん」お兄さんのそんな声が、あの美しい万年筆とともに、今もキクコさんの思い出のどこかに残っていることでしょう。
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