【エピソード33】ドイツの肝っ玉母さん。
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている
「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしい
エピソードをご紹介していきます。
今回は80歳になるイクミさんのお話です。イクミさんは50歳になる直前に家族や友人と一緒にドイツに旅行しました。現地で出会ったのは「ドイツの肝っ玉母さん」と多くの人に呼ばれていたタキエさん。初対面の旅行者を手放しでもてなしてくれたタキエさんのことをイクミさんが話してくださいました。
●誰の世話でもとことんするタキエさん
「わたしの従姉妹がドイツに住んでおり、その従姉妹とタキエさんは家族ぐるみのお付き合いでしたので、タキエさんの暮らすノイマルクトを、一緒に行った5人と従姉妹の家族4人で訪問することになったのです。初対面のわたしたち5人をタキエさんは食べきれないほどの料理ととびっきりの笑顔でもてなしてくれました。
知り合いはもちろん、全く知らない旅行者や困っている人も、家に連れてきて、ご飯を食べさせ、相談に乗り、力になるのがタキエさん。その豪快さから、タキエさんは彼女にお世話になった人たちの間で「ドイツの肝っ玉母さん」と呼ばれるようになったそうです。
タキエさんの夫のアレスさんはチェコから亡命してきた鉄工芸作家。古い大きな家を購入し、コツコツ二人で手を入れたという居心地のいい素晴らしい住居でした。びっくりしたのは、その家を買ったとき3人のおばあさんがそこに住んでいて、タキエさんがその3人の世話をしているということ。そのうちの1人に紹介してもらいましたが、上品なおばあさんでタキエさんのことをすごくほめていました」
● 波乱の人生を切りひらいたタキエさん
「タキエさんは元々兵庫県芦屋出身のお嬢さま。家族の勧めで見合い結婚した相手のDVで離婚し、1人ドイツに渡って住み込みの子守のようなことをしていたそうです。そこで貧しい工員のアレスさんと知り合い、2人は恋に落ち結婚。アレスさんの両親と病身のお兄さんとの暮らしが始まりました。やがて長男が生まれますが、6人の暮らしは苦しく、タキエさんはマッサージ店やおみやげ店で働いて家計を支えます。そんなある日、なんとお姑さんが宝くじに当たったそうです。そのお金で、アレスさんは学校に行き、鉄工芸マイスターの資格を取ります。家を購入し、次男も生まれ、幸せな暮らしを手に入れたタキエさん。その恩返しにノイマルクトの人に広く日本を知ってもらうための日本週間を企画します。駆けずり回ったタキエさんの努力が実り、企業や自治体の後援を受けイベントは大成功に終わりましたが、何か月もの間、準備に追われて仕事のできなかったタキエさんとアレスさんは、またまた破産の危機に見舞われます」
● みんなタキエさんを忘れない
「そんな2人を救ったのが、昔タキエさんが熱心に世話をしていたという老夫婦。その全遺産をタキエさんに残すという遺言が弁護士から届きました。『喜ばれたくて無欲でしたことが、こんな形で自分に返ってくるなんて』とタキエさんは思ったそうです。
それから、タキエさんはますます“誰かに喜んでもらえる”ことを生きがいに、料理を振る舞い、イベントを開き、パワフルな肝っ玉母さんぶりを発揮します。
わたしたちがタキエさんにお世話になって帰宅した後も、ときどき手紙のやりとりをしていましたが、ある日、ドイツの従姉妹からタキエさんの次男がバイクの事故で亡くなったとの知らせが届きました。驚いてお悔やみの手紙を書きましたが、彼女はむしろその少し前にわたしが夫を亡くしたことを思いやる返事をくれました。すごい人だな、と本当に思いました。
その後、タキエさんは癌での闘病が続き、結局66歳の若さで亡くなってしまったのですが、タキエさんの思いやりと笑顔がどれほど多くの人を救ったことかと思い、彼女に出会えた幸せを30年以上たった今でも大切に思い出しています」
★タキエさんにお世話になった大勢の人たちが、タキエさんのことを記録に残したいと『タキエさんがいた! ドイツの肝っ玉母さん ルジチカ多喜枝の生き方』という冊子(The ART TIMES デラシネ通信社発行)を作りました。今回の『あの頃アーカイブ』はイクミさんのお話にこの冊子からの情報を追加して構成しました。
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