秋晴れの公園フリマで、心を持っていかれる。
昨日の日曜日は、娘と万博記念公園(太陽の塔のある公園)のガレージセールに行きました。
2、3歳から小学生ぐらいの子どもたちを連れて商品を並べる夫婦やママ友たち。わたしも今の家に引っ越すとき、友だちと自分の家でオープンセールをしました。ちょうどいま、目の前で古着を並べている、体型にかかわらずたくましく、活力あるおかあさんたちと同じぐらいの年齢のときです。30代でした。
「ああ。わたしもやったよ」と数日前のことみたいに話せる自信はあるけど、思えば、もう20年も前のことです。いま、ここで店を開いているおかあさんたちは、小学生や中学生だったでしょう。若い人ほど、ごく短いスパンで過去のことを「昔」というので、20年前なんて「大昔」。
10月とは思えない日盛りのなか、子どもの面倒を見ながら店番をするおかあさんたちは、わたしにとっては手を伸ばせば届くくらいに近しい存在だけど、彼女たちにとって20年後は、想像もできないぐらいに遠い。はしゃぎまわる幼い子どもが大人になることも、自分が50歳を超えることも、人によっては住宅ローンを返し終えることも、すべてが信じられないぐらい遠い遠い先のことなのです。
この非対称性。老いた人が若い人を見るときの近しさと、若い人が老いた人を見るときの無縁に近い遠さ!そして自分が、「老いたほう」にいるという、わかっちゃいるけど信じられないような現実!
ガレージセールの会場を出て、子どもたちの声を聴きながら木陰に座っていたら、あの頃のわたしが、ここでうたたねをしてしまって、いま、目覚めたような気がしました。リアル浦島太郎感が、すごい。晴天の公園の昼下がりって、やばい。心が、どこかに連れ去られる。
万博公園には、東日本大震災の翌日にも来ました。何をどうしたらいいのかわからず、夫婦して落ち着くために公園を歩いたものです。梅が咲いていたな。あのときだって、その8年後の今日、不在の夫の面影を探すように木陰に座るとは想像もしていませんでした。ああ。やっぱり浦島太郎。
昨日は、「少子高齢化の日本に、こんなに子どもがいるのか!」と驚くほどたくさんの子どもがいて「子どもがいる風景のパンチ力」を味わいました。子どもがたくさんいるとお兄さんお姉さん世代が、おとうさんおかあさん世代が、おばさんおじさん世代が、おじいさんおばあさん世代が、それぞれ、くっきりと鮮明になる。その役割みたいなものも鮮明になる。
柔らかい関節と疲れを知らない拍動と、次から次に移り変わる興味という子どもの最強ぶりを日常的に目にしていたら、なんか、いい意味で、あきらめがつきそうだな。大事ですよ。子どもの存在。いい意味で、いろいろあきらめられそうだ。
ガレージセールでは、レザーカービングっていうんですか。革の表面に模様を掘って彩色してあるバッグを買いました。1500円でした。11月の「カイゴ・デトックス」に提げていこうかな。
11月16日開催の「カイゴ・デトックスin 京都」は来週からサイト上でも参加受付が始まります。参加費は同じですが、いろいろとオマケのつくクラウドファンディングのほうが先行予約にもなり、お得です。開催日時など詳細もこちらに書いています。ぜひ、ご覧ください。
今日はゆみるさんの「黒ヤギ通信」が公開されています。悲しいお別れがあったのですね。少し更新がお休みになります。来月をお楽しみに。