背筋を伸ばさないことの功罪。
人のことは言えないのだけれど、という言葉がいつも大前提である。いままで、実に300回以上もこのコラムを書いているけれど、本当は毎回書きたいくらいなのだ、この「人のことは言えないのだけれど」という言葉を。というか、毎回、この言葉が最初に書いてあるのだけれども、まあ、毎回書いているとさすがに鬱陶しいので仕方なく省いてある、という感じで読んでいただければ幸いである。
ということで、改めて。
人のことは言えないのだけれど、どういうわけか、最近の若い奴らは背伸びをしない。まあ、背伸びをしたって、どうせお前らみたいになるんだろう、と思われているのかもしれないが、僕から言わせれば、背伸びをしないからいつまでたっても大人にならんのだと言ってやりたくなる。
背伸びをするというのは、ある意味大人のふりをするということなのだと思うけれど、いやもう僕たち私たちは子どもなんで、と甘える若いのが本当に増えた。この数年で確実に増加している。僕の周りには特に多いのかも知れないけれど、実感値として増えた。
そして、困ったことに、大人にも確実に増えているのだ。大人のふりをしてくれない大人が。大人まで一緒になって、いやもう、わたしゃ大人じゃないですからね、というふてくされた笑みを浮かべやがる。その結果、大人も子どもも背筋を伸ばしてなんとか生きようとする人たちと、子どものままで、というか、あえて子どものふりして、好き勝手にやる人たちとが見事に乖離して、大人派と子ども派が二極分化しているんじゃないかという気がしてならないのだけれど、どうなんだろう。これはもう、僕だけが感じていることなんだろうか。みんなが感じていることなんだろうか。それとも僕のとんちんかんな妄想に似たようなものなんだろうか。
で、これまた困ったことに、いまの世の中、大人のふりして頑張って背筋を伸ばすよりも、子どものふりして好き勝手に生きる方が結局は強い気がするのだ。いや、完成してしまえば、そりゃ大人のほうが強い。孤独も味方に引き入れて、力強く生きていくことができる。子どもなんて、ちょっとした寂しさに翻弄されて生きるの死ぬのなんて言いながら覚えたての酒に溺れたり、なんなら課金ばかりしてゲームに溺れたりするのである。
ところが、どっちもその道程の途中にあると、子どものほうが強い。奔放に易きに流れる子ども派が明らかに強いのである。でも、それじゃ生きていけない。自分も未だに弱いからわかるのだけれど、やっぱり孤独と巧く付き合える強さを身につけないと、後々困るのだよ。
最近、そんなことを考えてしまい、「はい、背筋を伸ばして!」と若い奴らに言いたくなるのだが、その背筋の伸びなさ具合には目を見張る。とりあえず、自分が見込みがあると思った奴にだけでも、「背筋を伸ばせ」と言い続けるしかあるまい。
と、心に決めた今日この頃である。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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