たくましさのストーリーテラー/パラサイト、再考
映画『パラサイト 半地下の家族』について、前回書いた。基本的に面白い映画だと思う。しかし、貧困層の描き方が「臭い」に象徴されるようにステレオタイプだし、どうしてもエンターテインメントに当てはめようとするあまりに無理がある、ということを書いたつもりだ。
そのコラムを読んだ人から、本作の監督であるポン・ジュノは尊敬している監督として今村昌平をあげているのに、ということを教えてもらった。その時に、なぜか謎が解けた気がした。そうか、今村昌平か。そう言われると、ポン・ジュノ作品には今村昌平作品がずっと引きずっている何かが色濃く漂っている。
それはなんなのか、ということをここしばらくずっと考えてきたのだけれど、もしかしたらということに思い至った。前回のコラムもそうだけれど、これは僕だけのまったく個人的な感じ方なのかもしれないが、今村昌平作品の決定的な欠点は、土着的なものに対する盲目的な愛情なのではないか、ということだ。または、人間くさい物への妄信的な愛情と言い換えてもいいかもしれない。
人は強い、人はたくましい、故に人生は良くも悪くも素晴らしい。素晴らしい故に醜くもある。つまり、人の生きる力を信じ切って作品を作っているとしか思えないのである。それはどういうことなのかと言えば、結局は人はたくましいという価値観によって道を切りひらき、筋道をくっきりと描くような作品に仕上げてしまうということだ。
そのあたりの感覚がポン・ジュノ作品にも色濃く漂う。だからこそ、力強く伝わるし、映画としてのテーマも明確で、『パラサイト』のように成功すれば多くの人たちに愛される作品になる。しかし、やはりそこにある一方通行な欠点は消えること無くそこにある。いや、成功すればするほど、欠点は色濃くなる。
その欠点が最も強く表れているのは、見事なストーリーテラーが「何かを伝えるためのご都合主義となってしまう」という点だ。故に、今村昌平もポン・ジュノもヒットした作品ほど、2回は見れない。一度見た時には息を呑むように魅せられ、心をグッと掴まれてしまうのだが、それは結局ストーリーテラーの見事さであって、人の多様性、人の奥深さを「画」としてみせてくれるものではない。
もちろん、2回、3回と見れる人もいるだろう。しかし、そのほとんどはジェットコースターに2回3回と乗るのと同じで、「次のカーブがきつくていいんだよ」とか「あの降下する感じがたまらない」とかいう確認作業であるはずだ。そして、そういう映画はあっていい。というか、そういう映画もあってくれないと困る。ただ、僕は個人的にハッピーエンドであっても、バッドエンドであっても、その映画を見ることが小さくても見る人の希望のようなもの(あえて希望とは言いきらない)になっていてほしいと思う。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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Jane
あのお父さん役の人はとても人間くさい役を演じるのが上手ですよねえ。容姿も含めて。
トランプ大統領が、映画の内容ではなく韓国の映画が賞をとったことに不満をあらわしたのは違うだろうと思いました。内容に不満もあったけどそういうふうにしかあらわせなかったのか、内容はよかったけどアメリカ映画ではない、その一点だけが気に入らなかったのか知りませんけど。
uematsu Post author
トランプは気に入らないでしょうね。
まあ、映画を見るとは思えないので、内容は知らないんだと思います。