境界線の境目ベルト地帯に立ってみる。
父の命日が近づいている。7年前、僕の父は母の誕生日がやってくるのを待つかのように、日付が変わってしばらくしてから逝った。その時にはすでに緩和ケアの病院に入っていたので、なんとなく家族としても、あまり時間はないんだろうな、という覚悟のようなものは出来ていた。
しかし、緩和ケアの病院に移るまでは、少し混沌と混乱の時間があって、病院に対する信頼とか、父自身の憔悴のようなものがない交ぜになって、時間の進み方や空間のあり方が歪んでいるような感覚に囚われた。
そんな中で、もっともその歪みのようなに囚われていたのは父だと思う。痛みをコントロールするために、父は麻薬成分を含むモルヒネを投与されていて、幻影を見るようになっていた。
ある日、見舞いに行くと、父は声を落として私を呼び、「この病院は化け物屋敷や。看護婦が天井を歩いてくるぞ」と囁いた。そして、私たちのそばを看護師が通ると、「ほら、見てみ、あの看護婦は頭の後ろにも眼が付いてて、こっちをにらんどる」と怯える。
モルヒネには混乱や幻影の副作用があるということは聞いていたので、おそらくそうだろうと担当していた看護師に聞くと「そうでしょうか、お父様は急にボケたのかもしれませんよ」とクレーム対応のマニュアル通りなのかなんなのか、冷たくいい放つ看護師を目の当たりにして、もしかしたら、父はボケたふりをしながら、目の前の看護師の悪口を言いたくて仕方がないのではないかと思ったりもした。
実は担当の看護師が父が正気な時から、どうも冷たい態度で、しかも医療機関としてはルール違反な行為をしたり、言動をしていたのを僕自身も見ていたので、そんなことを思ったのかもしれない。
どちらにしても、父の話を聞いてからしばらくは、この看護師が本当は化け物と人間の境界線に立っているような性悪なヤツなのかもしれないという気持ちと、もしかしたら床から天井へと境目なく自由自在に歩き回るヤツかもしれない、という感覚に囚われていた。
しかし、見舞いに行くたびに、そんなことを持っていると、やがて、担当看護師の性悪具合などどうでもいいことのように思われ、医師に対する信頼も不要な物のように思われ、父が生と死の境界線を見失っていることで、いままで見たこともなかったような悲喜劇が始まったような、そんな気分になったのだった。
もう7年も経ってしまったけれど、あの時、父の病室で父と一緒にあの意地悪な看護師を眺めていたときの感覚を思い出すことがある。そんな時、あれからずっと境界線の真ん中に立っているようなそんな気分になる。
父にも迷惑をかけた事務所は畳んでしまったけれど、まだフリーランスのコピーライターなのか、映画の学校の講師なのか、自分の本業がわからない。うまく生きているのか、そこそこダメな人生なのか、その辺りもわからない。世の中も、まだまだ新型の感染症に脅かされるのか、実はもうほぼ収束に向かっているのかが、どうかもわからない。そう考えれば、僕の人生はずっと境界線の境目ベルト地帯のようなところに立って生きているのかもしれない、という気持ちになってくる。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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