杉咲花の大阪弁がいけている。
NHKの朝の連続ドラマ『おちょやん』を見ている。主演は杉咲花で、杉咲花の出身地は東京。そして、杉咲花の父ちゃんはレッド・ウォーリアーズのシャケで、母ちゃんは歌手で、どっちも東京出身である。しかし、ドラマの舞台は大阪。しかも、昭和の真ん中頃のコテコテの難波だから、その主役となると大阪弁が必須である。
しかし、杉咲花はうまいことしゃべるのよ。1週間のうち、1度か2度、「あれ?」と思うことはあるけれど、ほぼ気にならない。なんなら関西出身で、あざとい関西弁イントネーションで話す藤原紀香のほうが東京のイントネーションと混ざっていて気持ちが悪いくらい。
あ、ちょっと話はずれるけれど、藤原紀香のように元々関西人なのに東京が長くなって言葉が混ざってしまう場合の「気持ち悪さ」と、もともと関西以外の出身なのに頑張って関西弁を話している場合の「気持ち悪さ」はまた違っている。たぶん、そこに感じる気持ち悪さは根っこを許すかどうかと言うことだと思うので、僕は藤原紀香を「気持ち悪っ」と思いつつも許してしまえるのである。
話を元に戻して杉咲花である。この間、落語界で『おちょやん』のナレーションをやっている桂吉弥の落語を聞いたのだけれど、その枕で、「杉咲さんは、言葉指導の先生もチェックしなくてもいいくらい完璧」な大阪弁を話しているらしい。なんなら、落語家の桂吉弥のほうが言葉を直されることが多いらしい。
で、僕が思うのはそこまで大阪弁を話せるだけのセンスがあれば、大阪人の気持ちが分かるのだろうか、ということなのである。僕は以前から、例えば宮本輝の関西を舞台にした小説とか、開高健のエッセイに出てくる大阪人たちのやり取りは、きっと翻訳本を読んでいるときのように、大事なエッセンスが少し薄まった形で関西圏外の人に伝わっているのではないか、という懸念を抱いているのである。
関西以外の人に、関西人の気持ちは分からんでしょ?という意味ではなく、書いていても、表記は標準語だけれど言い方は関西イントネーションなんだよ、ということが僕にもあって、そんなときに、この遊び心は届かないだろうなあ、と思ったりもするから。
ということで、僕はここのところ、毎朝『おちょやん』を見ながら、杉咲花はなんとなくかつお出汁のうどんが好きになって、撮影の合間には岩おこしを食べて、信号が変わった途端に横断歩道をダッシュして、しょーもないことでダジャレをいうようになってはいまいかと想像してニヤニヤしているのである。いや、でも、たぶん、撮影が終わったら、言葉数少なく「早くホテルに戻って、シャワーを浴びたいわ」とか東京弁イントネーションで思っていたりするのかもしれない。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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