学校の中におじいさんがやってくる。
娘が通っている大学に、監視を逃れておじいさんが入ってきたらしい。国立公園のなかにある大学で、正直どこまでが公園で、どこまでが大学なのか、わかりにくい。例えば、僕らでも足元だけぼんやり見ながら歩いていると、知らない間に入ってはいけないゾーンに足を踏み入れる可能性はある。ああ、そうだ。高速道路の逆走みたいな感じかもしれない。
そのおじいさんは、そのまま奥の方まで入り込み、溶接の授業をのぞき込んで写真を撮ろうとしていたらしい。教授は迷子かと思い「どうしたんですか?」と声をかけたのだが、本人は「散歩の途中で」といたって陽気に帰っていったそうだ。
娘はその様子をみながら「春だなあ」と思ったそうだ。僕はその話を聞いて、なんだかいい話だなあと思う。高速道路みたいに危険が伴うならともかく、こういう場合にはこんなゆるい対応がいいなあ、と思う。でも、これがきっちりルール化されていけば、もっと厳しく注意されるかもしれないし、もしかしたら、おじいさんはもう二度とこの国立公園にも学校の周囲にも近づかなくなってしまうかもしれない。偶然かもしれないけれど、そうならないように、ちゃんとおじいさんを穏やかに学校から出すことができて、事なきを得てよかったなあと思うのだ。
なにが言いたいのかというと、やるとなったら徹底的にという話ばかりを聞かされている気がして、まあ、適当でいいじゃないか、ということを誰も言わなくなったようで寂しいなあ、ということだ。そうなんですよねえ。まあ、少し前から不寛容な世の中についていろいろと言われているが、特に子どもと年寄りは国の宝という言葉があるくらいだから、本当に大切にしてあげてほしい。
なんで、最近、そんなことばっかり考えるんだろう。自分も来年還暦だから、優しくしてもらえるんだろうか、という恐怖心があるからだろうか。いや、そこまでじゃないとは思うけど。ただ、このまま誰もが誰もを許さないという気運が拡大していくと、ほんと怖い。それよりは、まあいいかとみんながつぶやける時代がくればいいのにと思う。
ま、どんな未来が来るかもわからないし、コロナもいつ収束するかもわからない。菅さんがこの国のために本気で闘ってくれるかどうかもわからない。そんなわからないことだからけの世の中で、僕やあなたがちょっと間違えて、どっかの大学や会社の敷地に足を踏み入れてしまう確率の方がよっぽど高い。そんなときに、許してもらいたいし、もし足を踏みれられる側なら許せる自分でありたい。
最近の僕はなんだかこんなことばかり考えているのです。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
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クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
なな
不寛容とはまた違うのですが、
嫌だなぁと思ったことがありました。
一人で散歩していた時のことです。
前から高校生くらいの男の子が歩いてきて
「ちょっと聞きたいんですが、この辺で
首輪をつけた犬を見ませんでしたか?
友達の犬なんですが探してて…」
と、文章にすると普通の会話なのですが
スマホもあるし、他人に道を聞かれる事も少なくなったこの頃。
見た目は普通の子だけど
もしやこの子はスキをついて私の鞄を
奪おうとしているのでは?と
思わず身構えてしまいました。
明るい時間とはいえ、周りに誰も
いなかったし。
見かけませんでした、と答えると
ありがとうございました、と去って
行きました。
周りの人が、悪い人じゃないか
ウイルス持ってるんじゃないかとか
常に考えてしまう世の中って嫌だなぁと
思いました。
知らない子供に「僕いくつ?」などと
話しかけるのも昭和ではよくありましたが
今は警戒されそうですね。
uematsu Post author
ななさん
そういうことってありますよね。こちらの思い込みだったり、勘違いだったり。
いつも、人には優しく、と思うのですが、なかなかうまくいきません。僕は特に