ネコのマロン、逝く。
ネコのマロンがうちにやってきたのは15年前のこと。娘が10才で、息子が7才。僕とヨメは44歳だったということになる。アメショなのに茶色い毛をした男の子で、クリみたいだからマロンと名前はすぐに決まり、血統書には『ルネ・マルソー・マロン』と書かれていたのであった。まるで貴族か伝説の怪盗のような名前だが、本人はいたって普通のいたずら好きのネコで、家の中を走り回り、飼い主一家を甘噛みし、よその家のネコの声に怯える日々が始まったのだった。
僕自身はネコが苦手だった。イヌでもネコでも、噛むかもしれないと思うだけで、怖いのだ。しかし、ブリーダーさんのところに会いに行った日に、マロンが僕の上にニャーと乗ってきた瞬間に僕のネコ嫌いは克服され、マロンはうちにやってきた。
子どもたちと一緒にくんずほぐれずで遊んでいた日々をいまでも思い出す。ネコはちょっと冷たいと言われるけれど、マロンはまるでイヌのように人なつっこいネコだった。ねこじゃらしを自分でくわえてきて、遊んでくれというように差し出す。僕のお腹の上に乗っては一緒になって眠る。そうやって、僕たちの暮らしの中にむにゅむにゅと入り込んできたのだった。
何度か引っ越しがあり、その度に疑り深そうに家の中をウロウロしていたが、半日もすればずっとそこにいたかのように落ち着いた顔をしているネコだった。飼っていたカメに鼻の頭を噛まれてケガをしたり、間違えて家の外に出てよそのネコに威嚇され全身がまん丸になるほど毛を逆立ててみたり、心に残る出来事がたくさんあった。10年ほど前にはマロンを主人公にした『ネコのマロン、参院選に立つ。』という小説を出版させてもらったこともあった。
そんなマロンが急に立ち上がれなくなったのは先週の火曜日のことだった。兵庫県伊丹市の実家にいる僕とヨメの元に、長女からLINEがあり、「マロンが痙攣したので病院に連れて行ったら、もう危ないかもと言われた」とのこと。驚いたのだが、それでもまさか今日明日ということはないだろうと、週末には東京に戻ろうとのんきに思っていたのだが、その日のうちに立ち上がれなくなり、1時間おきに痙攣を繰り返すようになった。夜中までLINEのビデオ通話で様子を見ていたのが家族揃ってマロンを囲んだ最後になった。
翌日、ヨメは早朝の新幹線で東京へ。昼頃に逝ったマロンはヨメと子どもたちに見守られて逝った。僕は大阪の学校で授業があったので、それが終わってから東京に戻ったのだが間に合わなかった。子どもたちがマロンを綺麗にしてくれて、翌日はみんなでペット葬を行った。「みなさんに可愛がられたからこそ、マロンちゃんはストレスなく過ごすことができ、こんなにお骨が綺麗に残っているんでしょうね」、と淀みなく語る業者のおっさんに「お前に何がわかる」と悪態を吐くのだが、それでも涙があふれてきてしまう。
一夜明けると、息子の小学校の頃からの友だちがわざわざマロンのお悔やみにやってきてしばらくにぎやかに話して帰っていった。まだまだ、服に付くマロンの毛を見つけたり、部屋の隅にマロンのトイレの砂を見つけたりすると、マロンを思い出してこみ上げるものがあるのだが、これがいつまで続くのだろうかと思うと、少し呆然としている。
もっと、早く病院に連れて行っていればよかったのか、とか。あの時、くしゃみばかりしていたのを笑っているだけでよかったのか、とか。なんだかいろいろ考えてしまうのだが、悔やんでいても仕方がないのだろう。15年と3ヵ月。マロン、ありがとう。向こうでもやんちゃで遊んでいてほしいな。僕たちのところに、ひょいと君がやってきたように、今度は君が遊んでいるところへ、僕がひょいと遊びに行くよ。僕は忘れないはずだけど、君は僕を忘れてるかもしれないなあ。その時は、こないだまでやってたように、僕がマロンの真似をしてニャアと鳴いてみるから思い出してちょうだい。お願いします。ありがとう。ほんと、ありがとう。マロン、ニャア。自分で思っていた以上に、僕はマロンのことが大好きだったようです。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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