笑福亭仁鶴師匠、逝く。
上方落語会の重鎮とも言える笑福亭仁鶴師匠が亡くなった。8月17日のことだ。84歳だったというからまだ若いのに、ということはないけれど、それでもまだまだ落語を聞かせてほしかった。仁鶴師匠は落語家がタレントとしても活躍するという存在のはしりで、僕が子どもの頃はテレビの司会、カレーのコマーシャル、ラジオのDJなど、あらゆる場所で活躍し、曲もリリースして大ヒットさせていた。
「仁鶴は仁鶴で三角にあらず、顔見りゃ四角と誰ぞが言うた!仁鶴と遊ぼう!」と流れるような口調でタイトルコールをする夜の短い番組が大好きだった。そんな仁鶴師匠を一度だけ生で見たことがある。以前にも書いたことがあると思うのだが、僕は小学校6年生の時に子ども向けの素人名人会的なテレビ番組に出たことがある。その時にテレビ局の廊下で仁鶴師匠とすれ違ったのだ。
親に買ってもらった仁鶴師匠の落語のレコードは僕の宝物だったので、僕は目の前に突然現れた憧れの人に慌てふためいた。この機会を逃がしてはいかんと、とにかく「あっ!」と叫んだ。すると、仁鶴師匠は最初驚いていたのだが、僕を見るとニコニコ笑ってくれたのだ。僕が「こ、こ、こんにちは」と挨拶すると、仁鶴師匠は「はい、こんにちは。ぼく、この番組でるんか。そうか。落語しはんの? なるほどなるほど、おきばりやす。僕は出えへんけど、僕の師匠が審査員やからよろしゅうに」と話してくれたのだった。僕はもうどう答えて良いのかわからずに「はい!!」と元気よく答え、仁鶴師匠はそのまま立ち去った。
たぶん、時間にすると1分もないすれ違いだけれど、僕は今でもその時の仁鶴師匠の笑顔を思い出すことができる。正直、その時は笑福亭松鶴師匠よりも、その弟子の仁鶴師匠の方が僕には輝いていたのだった。いま思うとあんなにも憧れ丸出しの顔で誰かを見ていたことなんてないかもしれない。仁鶴師匠、安らかに。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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