『ドライブ・マイ・カー』の新しさと深さ。
いま公開中の『ドライブ・マイ・カー』はとても面白い。エンターテインメントとしても充分にスリリングだし、仕掛けにも新しさがあり深さがあり、それが心を揺さぶる。
原作は村上春樹の短編集『女のいない男たち』。タイトルにもなっている『ドライブ・マイ・カー』だけではなく、他の何本かの小説の要素がピックアップされている。村上春樹作品の映画化は何本もある。僕がいちばん好きなのは『トニー滝谷』だ。そういえば、この作品もナレーションは西島秀俊が担当していた。
もしかすると、西島秀俊という俳優は村上春樹の小説世界との親和性が高いのかもしれない。知的に見えるし、寡黙な印象が強く、村上春樹作品の主人公たちとイメージが重なる。さらに大切なファクターが「自制」だと思う。西島秀俊は村上作品の主人公たちに共通する、見事に自制できる人物を好演している。だからこそ、映画のなかでベートーヴェンを聴いていても、サーブ900に乗っていても違和感がないし、職業が演劇の演出家だと言われても受け入れられる。そういう俳優はそれほど多くない。
この作品は「走る車」と「話す人」を中心に進んでいく。車が疾走するわけでもないし、会話がディベートになるわけでもない。車は信じられないほどに静かに心地よく加速するし、会話はゆっくりと物語をつむいでいく。家と仕事場。演劇祭の会場と宿泊先。異なる地点を行き来しながら、少しずつドライバーとなったミサキと主人公である家福(かふく)の気持ちに変化が現れる。同じようにそれぞれの場所に、それぞれの人に変化があり、映画はそれを丁寧に拾い集めていく。
その変化を見つめることこそが、この映画の醍醐味なのだと思う。変化が何に繋がっていくのか、というストーリー至上主義なのではなく、人に起こる変化を見つめることで人の本質や生きていくことの大切なものを観客に届ける。だからこそ、この作品には三時間近い時間が必要なのだと思う。
その証拠に、主人公たちが煙草に火を付けて煙をくゆらせるとき、僕は一緒になって煙草を吸い煙を吐き出したくて仕方がなかった。禁煙して二十年近く経つが、映画でうまそうに煙草を吸っている人を見ても煙草を吸いたくなることはなかった。でも、この映画の登場人物たちと時間を過ごしていると、彼らが火をつける煙草さえ共有したくなる。
そして、その変化と共有がクライマックスを迎えるのがチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の練習風景から本番への流れだ。具体的に変化し始める人間関係が、家福やミサキにも変化を起こし、わかりやすく彼らの芝居が変化していく。観客は共有してきた時間をここですっとスクリーンに還すかのように自由になれるのだ。あとは、あなたたち次第だ。そんなメッセージが聞こえてくるかのような気持ちにしてくれる。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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