『コーダ あいのうた』に見る心に残る残らないの境目
アカデミー賞の作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』はオーソドックスなサクセスストーリーだと思う。耳の聞こえない両親と兄の中に誕生したローズは、家族の中で彼女だけが耳が聞こえる健常者として育つ。高校生になったローズは、耳の聞こえない父と兄とともに漁船に乗り、早朝から働いている。エンジン音と風や波の音の中で大声を張り上げて歌うローズは、自然と歌うことが好きになっていく。憧れの男の子がいるだけで、合唱の授業を選択してしまうローズ。しかし、そこで出会った指導の先生から見込まれ、バークレー音楽大学の入試を受けることになる、というストーリーだ。
ここまでのストーリーを聞くと、まあ感動作なんでしょうね、と思うはず。そして、確かに予想にたがわぬ感動作だ。しかし、これがよく出来ている。どう、よく出来ているのか、というと、ところどころにクサビを打ち込むかのようなシーンや言葉が出てくるのだ。そして、そのシーンや言葉が、経験したこともないのに、なぜか経験したことがあるような気がしてしまう。例えば、男の子と二人で歌の練習をする場面。愛の歌を二人っきりでお互いを見ながら歌い始めるのだが、照れくさくて続かない。どうしようもなくなった二人は、「背中合わせで練習しよう」と言いだし実行するのだが、お互いの背中を感じながら愛の歌を歌い始めた瞬間に、二人の淡い恋が確かなものになったことを観客は実感してしまうのだ。
他にも、普通ならここでこの言葉はでないだろうな、という言葉がどんどん繰り出してくる。そして、それらがいちいち真実味を帯びているのだ。上っ面な優しさではこんな家族はやっていけないのだ、ということをこの映画は、ディテールを積み重ねることで伝えてくれる。
思えば、僕たちの人生だって同じようなものだ。段取りや、都合よくことを収めるために言葉を操れば、仕事や人間関係はうまくいく。だけど、僕たちには思わず口をついて出てくる言葉というものがある。あれ、なんでいま僕はこんなことを考えているんだろう、とか。なぜ、僕は彼を怒らせるかもしれない言葉を吐こうとしているのだろう、とか。そんな言葉や出来事が人生の節目節目にある。
そんな瞬間が少しでもあれば映画は見る価値のあるものになる。映画だけじゃなく、音楽も小説も全部同じだと思うのだが、そんな瞬間を味あわせてくれるものだけが、僕らの心に残っていくようなそんな気がするのだった。いやほんと、いい映画だったな。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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