ほどほどに快調、という上手な妥協で。これからの健康管理。
こんにちは、カリーナです。
朝3時半に起きて2時間程度仕事をし、午前6時前後にスーと1時間の散歩に出る生活に変えて数週間が経ちました。いつまで続くかわかりませんが、今のところ、午前中の時間がたっぷりあって、よい感じです。午前中は、心身ともに元気。心もカラリとしています。これが大きい。爽やかな気持ちで過ごせる時間が長いのは、何となくよいものです。
年とともにカラダの不調が起きやすくなり、それが気になるあまり、「こうしてみたらどうか」「こっちがいいかな」と試行錯誤することが増えてきます。中には、テレビやネットの健康情報に敏感な人もいるでしょう。わたしは、面倒くさがり屋なので「これがいい」と聞いてもほとんど行動に移しませんが、でもカラダの調子がいいに越したことはありません。ほんのちょっとの痛みでも、気になりますもんね。
問題は、ついつい、わかりやすくてシンプルな因果関係を求めてしまうところです。これを食べたから、お通じがよくなった。これを飲むと、数値がよくなる。この運動をすると柔軟性が高まるなど。でも、ちょっと時間が経つと、そうでもなかったんじゃないか?あんまり関係なかったかもよ?なんて結論に至ったりします。
自分のカラダのことは、自分が一番知っているようで、体内のものすごく複雑なメカニズムはわからないからです。人間のカラダってめちゃめちゃ精工なマシンだから、本人とはいえ、感覚だけでは原因究明できない。スマホのカメラみたいに自撮りモードに変えたら、カラダの内部が見えたらいいのにね(いや、いいかどうかわかりませんが)。「痛み」というサイン一つをとっても、果たしてどこの痛みか。ここか、この周辺か、その反対側か。ここな気もするし、あっちな気もする。ここを治せば解決するような気がするし、別の場所に原因がある気もする。つまり、わからん。
カラダの状態をできるだけ健やかにキープするのは大事だけど、「万全」「完璧」「一点の曇りもなし」を求めると、わずかの変化に振り回されて他のことが手につかなくなってしまうのがつらいところです。時間をどう使うかという観点から見るとやっぱりちょっともったいないもんなあ。
気にしすぎないのもよくないけど、気にしすぎるのもよくない。足が痛いからと動かないでいると、ますます悪くなるように、ちょっと痛くても様子を見ながら動く、みたいな「快調さを求めすぎない上手な妥協」が必要なのでしょう。
ゆったり構えつつも、速やかに病院に行く決断力と行動力も大事だし、年をとってからの健康管理には、高度な危機管理力が求められます。
…というわけで朝早く起きたので今、午前8時半。本日更新の記事も書き終えました。よし。
今週もオバフォーはコツコツと更新します。時間のあるときに遊びにきてください。
アメちゃん
カリーナさんは、ラジオ深夜便真っ最中に
おはようございます!なんですね。
私んちのベランダは東向きなので
今頃の季節から、ムダに早起きになります。
日の出の時刻とほぼ同時に目が覚める感じで。。
でもたしかに、午前中に時間の余裕がある方が
いろいろはかどって、なんか得した気分になりますね。
昔、会社勤めしてた時も
数時間早めに出社して、誰もいない静かな中で仕事してましたよ。