バス停で走る人。
バスをよく利用するのだが、乗る時間が決まってくると、顔ぶれが見えてくる。こちらが不規則なので、会う人も不規則ではあるのだが、ひと月に一度が二度会うなあ、という顔がある。
その中に、おそらく20代の真ん中くらいの男性がいる。この男、走るのである。バス停の前に信号付きの横断歩道があるのだが、あちらこちらから歩いてきたバスの利用者が、いったん足止めされる。時間がギリギリなら、向こうからバスがこないかを気にしながら、ゆとりがあれば、まだ大丈夫だな、と余裕をかましながら青信号を待っているのだ。
で、信号が青に変わる。すると、走り出すのだ。この男が。まあ、気持ちは分かる。なんとなく、信号でリセットされている感じが陸上競技のスタートラインのようだし、少しでも先に乗れば、座れる可能性も高まる。しかし、そこは大人であるからにして、あからさまに走るのは恥ずかしい。僕などはゆっくり歩いているふりをしながら、少しだけ足の回転をはやめたりする。または、なんとなく軽快な気持ちを装ったりしながら、速足の人を装ったりもする。
しかし、その男はあからさまなのだ。車道側の信号が黄色になり、目の前の信号が青に変わる寸前になると、男はあからさまに片足を引き、肘を曲げ密やかにスタートの姿勢を取り始める。そして、青に変わるコンマ数秒というところで男はフライング気味に走るのである。
おそらくほんの20歩30歩ほどの距離感なのだが、男は全力の少し手前くらいまで力を込めて走る。最初は驚いた。え、走るの?と声を出しそうになった。けれど、いま、僕はその背中をなんとなく微笑ましく眺めている。なにしろ元気だ。そして気持ちに素直だ。自分の気持ちに嘘がつけない彼は、バスに乗ると、席があればそこに座って満足そうに目を閉じるのである。
しかし、今日、様子が違った。彼はミスを犯してしまったのだ。今日もいつものように全力で走り彼はバスに乗った。もちろん、一番乗りだ。さらに席もちゃんと一つ空いていた。いつもなら、彼の指定席になるはずだった席だ。だが、かれはミスを犯したのだ。プリペイドカードの残高を確かめていなかったのだ。けたたましいアラートが鳴り、彼は乗車口で止められてしまったのだった。
そして、彼は僕を始めとする2名の男たちに抜かれてしまったのだ。僕は3番目だった。僕の前のおじさんはなんとなく男に悪いと思ったのか、席に座らずに吊り革につかまった。前のおじさんがそうしているのに僕だって座るわけにはいかない。「この空いている席は走る男の席だ」という気持ちもあり、僕も吊り革につかまった。
男は少し手間取りながらもチャージを終えて車内に乗り込んできた。そして、空いている席を見た。すっかり諦めたはずなのに、まだ席がひとつ空いている。その様子を見た彼は一瞬、ボクたちの方を見た。そして、彼はその席には座らずにつり革につかまった。次の次のバス停から乗ってきたお婆さんが座るまで、その席は空いたままだった。
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植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
sherry
すごくいい話でした^ ^
uematsu Post author
sherryさん
コメント、ありがとうございます。