(15)答え合わせ
火葬の当日は、よく晴れて夏の到来を感じさせる日だった。
何レーンか並んで火葬が行われるのだが、遺影がないのは我々だけのようだ。火葬場の職員が「故人が仏様になって皆様を見守ってくださいます」的なことを言うので、私と夫は爆笑しそうになる。
「最後にお顔に触れてください」とも言うのだが、私はしない。顔も見ない。見たいわけがない。あとで夫が「ヒゲなかったよ」と言っていたのは可笑しかった。葬儀屋さんが剃ったと思われる。
数十分ののち、母がついに遺骨になった。自分の家に持ち帰るのは絶対に嫌なので、少し遠回りして実家に寄り、汚れた廊下に置いてきた。うれしいような、何も解決していないような、不思議な感じ。
少なくとも、現世からいなくなったのは確かだ。病院から呼び出されることがないのは、めちゃくちゃうれしい! 解放感! シャンパンで乾杯~~
しかし、翌日からは、手続きの嵐なのだった。区役所、携帯電話やクレジットカードの解約、生命保険、相続…。死んだからといって、ぱたっといなくなるわけではなく、長い長い時間をかけて始末をしていかねばならない。何度も何度も、母の名前と生年月日を書類に書き続けた。
そして今は実家の片付けをしている。ゴミ屋敷と化しているので、全然終わらない。もちろん最終的には業者に頼むのだけれども、父のこだわりと、母の書いたもので人目に触れさせたくないものがありそうで、それらを見つけて溶解に出したいからだ。
たとえば、自業自得で交通事故にあったとき、保険会社に提出した文章の下書きを見つけた。「私は大学院に通っているのにこの怪我のせいで研究に支障がある、つまり、私は特別な人間なので、保険金は高く支払われるべきだ」云々。爆笑ものだ。これを溶解に出したほうがいいと思う私は、こんな親に生まれた自分を恥じているのだろう。
万年床の下には、子どものときに私が「ママのバカ」と落書きした、こたつの天板があった。固い状態にしたくてそれを敷いたのだと思うが、私の嫌悪をしょって寝ていたとしたら、それはそれで面白い。
古いアルバムもあった。小学校低学年ぐらいの母が、体育館で全校生徒を代表して何かを読んでいる写真があった。後ろに男子もいっぱいいる。母は昭和14年生まれなので、まさに戦後すぐだ。(おそらく男子よりも)勉強ができて、両親に褒められたのだろう。母の原体験のように思えて、しばし眺める。
人目に触れさせたくないものの際たるものとして、日記を発見した。大学に入ってからだから、60年近くの出来事が記されている。回想などで母の成育歴が知りたくて、ぺらぺらとめくってみる。
つい目に付くのは、思い通りにならない私を罵っている言葉だ。当時、リアルタイムで書かれたものである。フラッシュバックどころか、二度同じ虐待を受けているようで心臓がバクバクする。それに、人の日記を読むのはよろしくない。しかし怖いもの見たさで手が止まらない。
新しい命の温かさや柔らかさに感動していたのは、ほんの束の間だ。
私の成育状況を記録していく。「2歳〇ヶ月、これこれが出来るようになるはずなのにできていない。」「3歳〇ヶ月、こういう欠点が気になる。」…目安に達していないことに苛立っている。(こういうお母さんは多いかもしれない)
体が弱い幼児の私を「怠け者」と罵る。え、幼児なのに「怠け者」って…。むしろ遺伝なのでは。「ごめんね」とか思わないんかい。
小学校の授業参観で活発に発言しない私に、「知能の低い娘を産んでしまった、おしまいだ」と落ち込む。「知能が低い」って語彙がすごい。
中学校の成績がオール5ではない私の将来を「お先真っ暗だ」と嘆く。2とか3とか取ってる生徒は一体どうなるのだろうか。みんな人間ではないのだろうか。
母は、どんな娘なら、満足できたのだろう。幼いころは神童、小中高では誰からも称賛される最優秀な生徒、大学は最高学府に入学し、そして最終的には、めったなことではなれないような、誰よりも優れている職業に就く、……ってなんだろう……、あ、宇宙飛行士とかかな?(真顔)
ふと、「自分の不幸を娘でぬぐおうとしている」という一文を見つけた。分かってやってたのか! 一瞬、正気に戻る瞬間があったんだろう。そしてまた「ぬぐう」行為を止められない。その後も罵りは延々と書かれている。
日記をチラ見することで、答え合わせができてしまう。やはり私は道具だったのだ。
道具がちゃんと機能しないからクレームを入れたい。しかしその道具は自分が生んだ子どもだ。自分のせいだとは思いたくない。だから、不具合の原因を、子ども本人の怠慢と、夫の血筋(!)に求める。あんな家柄だから遺伝したんだ、と。いつ時代だよ。
不幸をぬぐうための道具、つまり私は雑巾。くしゃくしゃにされ、ごしごしと汚れに押し付けられ、「全然拭きとれない、不良品だ、なぜこんな雑巾しか無いのだ、やはり私は不幸だ」と苛立ちをぶつけられる。洗ったり、畳んだりはしない。だって雑巾、そのうえ不良品だから。そして床にたたきつけられる。
まれに母が気持ち悪い笑顔で近寄って来るときは、まだ雑巾として使えるかもしれないと思ったときだけだ。
こんな親から生まれたなんて、悲しすぎる。
私の中の幼い私が、泣いて泣いて、泣き止まない。
匿名
プリ子さん
「母」という迷宮。
長く重い時間を経て、少しずつ少しずつ出口が見え…るのか、見えないのか。
先日終了した「虎に翼」。
「お母さんのことを嫌いでも好きでもいい」という台詞にビクンとしました。
プリ子さんのお母様は「言葉を残す(記録する)」ことでプリ子さんを苛む。
うちの母は「言葉を残さない(記録しない)」ことで私を苛みます。
とはいえここへきてわかってきたことは、
「母の中には何かある。何かある、と物心ついた頃から訝しんできたけれど、これは…どうやら…何もない。あるのは母自身の並外れた我執のみ…」。
プリ子さんの「母葬り」。
ヒリヒリしながら拝読してます。
サヴァラン
すみません。
↑の「母という迷宮」…のコメントに名前を書き忘れました……(*_*)
プリ子 Post author
サヴァランさーーーん!! お久しぶりです、コメントありがとうございます!
「我執」なんて言葉をさらっと使う方はどんな方だろうと思ったら、なんと!
そう、我執、「自分」というものへの執着。私の母も結局そうなのだろうと思います。我はこうあるべき、我はこう遇されるべき、我、我、我。
とらつば、ダイジェストでしか見ていませんでしたが、そういう台詞が随所にあって良かったですね。「お母さんを好きであるべきだ」というのが普通ですからね。そんなことを言うお母さんだったら良かったのになあ。
サヴァランさんのつぶやき、これからも楽しみにしてます。