Posted on by つまみ
物がたくさんなければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。
物がたくさんなければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。
大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。
パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。
『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』エーリッヒ・ショイルマン/著 岡崎照男/訳より
年末の大掃除はパスしましたが、本棚だけはあまりに乱雑だったので整理しました。
そのときに十数年(下手すりゃ数十年)ぶりに発見したのがこの本です。
なつかしくてついついページをめくり、気がついたら読みふけっていました。
家にあるのは1981年、立風書房から出版された新書サイズ版です。
黄ばんでいるし、文字も小さく読みづらいものの、その中身は今も変わることなく鋭利です。
ちなみに、パパラギとは、ヨーロッパ人、白人、文明社会そのものを示しています。
私はいわゆるナチュラリストではありません。
許容範囲の狭そうな自然志向には今ひとつ懐疑的ですし、文明の恩恵をなかば思考停止状態で今日まで享受して来て、いまさら丸ごとその生活を否定する覚悟もありません。
ただ、現在の世の中に対しては、今ひとつどころか、今百個ぐらい懐疑的ですし、長らく思考停止していた自分を悔いてもいます。
まずは思考停止解除。
ずっと、その存在すら忘れかけていた『パパラギ』がこのタイミングでひょっこり本棚から出てきたのは偶然なのでしょうか必然なのでしょうか。
それはきっと、これからの自分が決めるんだろうなあ。
by月亭つまみ
こんなブログもやってます♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
perako
はじめてコメントさせていただきます。
もうすぐ50才になろうとするのに、いまだに物欲がおさまらず・・・。
自分でも分かってるんです。物があるのが豊かさではなく、逆なんですよね。
50代、心の豊かさを目指したいと思います。
つまみ Post author
perakoさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
私も、パパラギが心にヒットしつつ、物欲福笑いでは、ソファが欲しい高性能空気清浄機が欲しいと言い募っていたりする、とんだ矛盾人間です。
でもその矛盾を含めて自分なんですよね。
物欲を封じ込めても、完全に開放しても、却って不自然というか。
ただ、「物に憑かれる」のだけは、不自然よりイヤだなあと、今回あらためて思ったりしました。
今後ともよろしくお願い致します。