Posted on by つまみ
<いろんな言葉>「ふだんのごはんは、すごい威力だ。」
ふだんのごはんは、すごい威力だ。
飯島奈美著『飯島風』(マガジンハウス)より
グルメレポート的なテレビ番組を見ても、正直、たいしてそそられません。
そりゃあ美味しそうだし、一度は食べてみたいものだとは思いますが、その手の情報に対する自分の食いつき具合は、あくまでもスペシャルなハレの日感覚で、年々、毎日のごはんがふつうに美味しいのがなにより派になっている気がします。
自分の作るものが美味しいかはさておき(おくのか?)、自分や家族の血となり肉となっているのは確かにふだんのごはん。
手作り料理至上主義ではないものの日常至上主義の身としては、その「威力」は自覚していたい・・っていうか、私にとっては日々の食事のしたくのモチベーションを上げる、とっておきの呪文かも、これ。
by月亭つまみ
YUKKE
うちも庶民派ご飯です。旅や外食が続くと特にそう感じる。
お茶漬けおじや、メザシに塩鮭、そういうものがいちばん、お腹が嬉しいです。
アァ、庶民の普通ご飯は毎日食べても、何で飽きないのかしらねぇ〜?
宇野ゆうか
おー、これって、カリーナさんのブログの「カジュアル空間をオシャレの主戦場に。(http://proage.blog66.fc2.com/blog-entry-718.html)」に繋がっている気がします。
「普段着」「カジュアル空間」が、ふだんのごはん。そして、「よそいき」というのは、「見てください!このプリップリのエビ!」みたいなグルメレポートじゃなくて、例えばお正月の、ごまめ・黒豆・数の子にお雑煮といったお料理、という感じなのかなぁ、と。
いつの間にか、「よそいき」がハイテンショングルメレポートみたいになってしまったことによって、不景気の現代に合わなくなってしまったのかも、なんて考えてしまいます。
つまみ Post author
YUKKEさん
ホント、外食が続いた後のうちご飯の美味しさったら!
米を主食にした先人は天才です!
ベタですが、ご飯と非ご飯を、配偶者と浮気相手にたとえたりしますが、ベタであるだけに心理の真理を突いてたりするのでしょうか(と、引き合いに出したくせに明確なコメントを回避する姑息なワタシ。
つまみ Post author
宇野ゆうかさん
従来の「よそいき」が不景気の現代に会わなくなってしまった、って確かに。
よそいきに投資するより、普段やカジュアルな衣食住にちょいちょい「いいもの」を混在させる方を選ぶという生活に世の中がスライドしているとしたら、それはある意味、時代の成熟とも言えるのかも、と思ったりしますが、他者への誇示ではなく、自身への納得がどんどん拡大解釈され、それだけが大事、みたいになることにも、きな臭い懸念が実はあったりして。
百%賛同できる言葉、というより、そこにほーんの少しの引っかかりも感じて、心に残った言葉なのかもしれません。
後付けかなあ。