6月30日、在宅デトックス開催!&「室町は今日もハードボイルド」を読みました。
こんにちは!カリーナです。
じめじめした天気が続いていますが、お元気にお過ごしでしょうか。
「室町は今日もハードボイルド」(清水克之著)という本を読みました。どこもおもしろかったのですが、特に「アンダー・ザ・レインボー」という所有についての章がおもしろかったです。
室町時代は、「虹の立つところに市を立てる」という奇妙な風習があったそうです。その理由についての学説が説得力があってすごかった。
中世において市場は、神仏が祀られる「聖なる場」「聖なる時間」である必要があった。神仏によって聖別された日常とは異なる時空であることが市場の必須条件だったのである。そこでは、あらゆる売買が匿名化され、すべてのモノが聖なる力によって、いったん「誰のものでもないもの」にされた。これによって人々は、安心して自分のモノを手放し、他人のモノを手に入れることができたのである。
(中略)
古今東西、虹は「天空への架け橋」であると夢想された。だから「虹の立つところ」は、「天界への入口」と考えられていたのである。古代から中世の人にとって、「市を立てる」のに、これほど最適な場所はない。
「室町は今日もハードボイルド」
・・・というわけで虹の立つところに市が立ったというのです。
今でも神社に市が立つのは、そういうことか。身のまわりにモノが少ない時代の人々のモノに寄せる過剰な思い。それは、神聖な場を用意しないと、自分自身と切り離せなかったのですね。何かを買おうにも、そのモノが他人の情念と切り離されていないから恐ろしくて買えない。「人」と「モノ」の密接さが濃厚すぎてすごい。おそらく今のわたしたちから見たら、みすぼらしいガラクタ同然のものもあるでしょう。でも、自分自身と分かちがたく結びついている。だから神聖な「市」が必要。
あらゆる情念の込められた「モノ」が匿名化されて交換されるものが「市」だとしたら、現代という、そこら中すべてが「市」に覆いつくされたしまった時代も別の意味ですごいことよ。匿名化された商品だらけのこの世界!
私たちが、自己肯定感とか、自己顕示欲とか「自己」にこだわりつくすのも、「匿名化」を強いる市場社会ゆえかもしれませんね。そりゃ、一筋縄ではいかんわ。
在宅デトックスのお知らせ
今月30日の「在宅デトックス」は、夜21時からの開催です。テーマは、介護のタイミング。最近言動に変化が出てきたけれど、どんなタイミングで病院に連れていくべき?どんな状態になったら介護認定の申請をしたらいい?介護サービスの利用、施設への入所は?…などなどをお話ししましょう。わたしも参加する予定です。詳細と申し込みは、こちらをご覧ください。
アメちゃん
わたしは、古着とかリサイクルショップの物は
なんとなーく、前の持ち主の氣が感じられてニガテです。
とくに身につけるものはダメで、買わないですね。
家族や友人など、知ってる人のモノでもちょっと遠慮します。
お店で新品で売ってるものは
誰かが「自分のモノ」として所有してた記憶がついてないから
大丈夫なのかなぁと思います。