(8)思い込みだけで生きている
大島弓子の「夏のおわりのト短調」という作品には、私の母のような女性が登場する。主人公の女子高校生が、両親の海外赴任のためにおばさん(母の妹)の家に居候することになるのだが、素敵な洋館に住む素敵な家族のはずが、じつは家庭崩壊。おばさんは自らが思い込んでいる素敵な家族の証として、姪をいい大学に合格させようとし、主人公を監視し始める。
曽根まさこの短編「木もれ日の部屋」も印象的だ。私の母とはかなり違うが、知り合った素敵な男子高校生のおうちに行ったら、素敵な洋館(これも洋館なのだ)に住む素敵なお母さんが美味しいお菓子を作っていて憧れ~、なのにじつはその幸せは虚飾だったという。
1970年代からそうしたことは物語になっていたのだなあ。当時は単純に面白いと思って読んでいたけど、今思うとおもいっきし身近な話ぢゃん! 母親世代は家庭をフィールドとした自己実現に血眼になり、自分を幸せだと思い込む。読者である娘世代は、呆れながら、絶対にそうはならないと無意識に誓った。たぶん。
母は、余命3か月と言われて何年も経つのに、何も準備していなかった。最期をどんなふうに過ごしたいか、決めて準備する時間は十分にあったし、お金がそこそこあるなら、比較的医療に手厚い老人ホームに入居して、倒れるまでの期間を延ばすことだってできたはずだ。
母は、姑(私の父方の祖母)のことをものすごく嫌っていたが(祖母の「女性が外で働くなんて」という考えが原因なので、まあ理解できる)、そうではあっても、死んだときに事前の準備がきちんとしていたため手続きがものすごく楽であったと、いたく感嘆していた。
しかし、母はいざ自分の段になっても何も準備していない。しようとも思っていない。つまり、自分の段になっているとは思いたくない、まだまだ生きるつもりだったのだ。
母が部屋に残したメモには「いい空気を吸うこと」「まだまだ頑張る」と書いてある。キモ! とっくにタバコをやめているのだし、今更「いい空気」を吸ったからといって間質性肺炎が治るわけではない。現実をまったく直視していない(そもそも首都圏で「いい空気」とは?)。一番すべきことは、医者に設置してもらった酸素を供給する機械を鼻に装着することだ。しかし、ケアマネさんによると、ろくに使っていなかったらしい。
自分が「病人」であることをどうしても認められなかったのだろう。肺が苦しいという現実を、頭の中で「自分は元気」と思い込んで、おさえこむ。今までもずっとそうやって、「自分は優秀」「自分は世間に恥ずかしくない」と思い込んできたように。
おば(母の姉)も母と同じ間質性肺炎で死んだのだが、同居しているおじ(母の弟)夫婦が面倒を見ていて、最後は家では無理になり老人ホームを探した際、その決定についても母の認知は歪んでいた。「もっとアクティビティとかがあって、元気に生活できるところに入れるべきなのに、みんなが勝手に決めてしまった、病人扱いしてひどい」と私にメールしてくる。
しかし、親戚の話を総合すると、アクティビティを楽しむほど元気になる可能性は無く、そもそも入居させてくれるところを探して60件も電話をかけてやっと1件見つかったのだそうだ。その現実を無視して、「自分の尊敬する姉は永遠に元気なはずだ」「私を置いてはいかないはず」と思い込んでいた。
おばの遺品も、「捨てたくない、あんな素晴らしい人のものだから誰かがもらってくれるはず」と言い張って、「はやく片付けないと衛生的にまずい」とほかの人が言うのを聞かず、ごねていたらしい。一番遠くに住んでいるくせに一番口を出す、迷惑なアレですよ。姉のことが好きすぎて、依存しすぎて、「私が誰よりも姉についてわかっているのに、なぜみんなはそう思ってくれないのか」と完全にこじらせていた。
母の骨折手術についての医者との面談の帰り際、看護士に「金歯を持って帰ってほしい」と頼まれた。母が交通事故に遭ったときに作ったものだ。
母はかつて、自業自得の交通事故に遭っている。「青信号だから自分は渡って良い」という判断で、横から車が突っ込んで来ているにも関わらず、横断歩道を渡って車にはねられ、歯を欠損したのだ。決して不注意ではない。車が来ていることは認識していたのだ。でも渡る。当然止まるはずだという認識のもとに。いや、むしろ「交通ルールを守るべきである」というアピールだったのかもしれない。
もちろん悪いのは車のほうなのだが、そうは言っても自分の思い込みのせいで交通事故にまで遭うというのは、いかにも彼女らしい。保険はどういう判断になったのだろう。絶縁後だったので詳細は知らないが、保険の調査員につくづく同情する。
看護士さんによると、金歯は「何百万もする」と母が言うらしい。いくらなんでも「何十万」の間違いだと思うが、金額を言うのも見栄っ張りで醜悪だ。
「何百万もするならこちらで保管するのは怖いので」「今はおかゆみたいなものしか食べられないから不要なので」とプラスチックのケースに水と一緒に入っている、垢もついている金色の何かを手渡された。
やだーーー、何これーー。どこにも置きたくない。家の玄関の外? 庭の隅? とにかく家の中には入れたくないが、家の外だとしても、どこに置いても風水的に悪そうだ。
仕方なく、家から少し離れた駐車場にとめている車のダッシュボードに入れることにしたが、愛車には本当に申し訳なく思う。
さらに、看護士さんから驚くべきことを聞いた。母は父が入院していることを知り、同じ病院に入りたいと言ったのだそうだ。へええ~。
昔は大げんかばかりしていて「離婚する」と叫んでいたのに、あれは何だったのか? 朝起きたら、投げ合った物で窓ガラスが割れていたこともあった。幼い私は「自分は望まれて生まれてきたのではなかったんだ」と悲しかった。よく、年を取ると助け合う相手がほかにいないから夫婦仲が良くなる場合があるとか聞くけど、むしろ違和感、不信感しかない。
不本意な結婚と不本意な娘をさんざん罵っておいて、それをなかったことにしろと? 勝手に記憶をすり替えて、「幸せな夫婦」「幸せな親子」だと思い込んでいるのか?
当然、私はこのことも父には伝えない。
絹ごし豆腐
「思い込みだけで生きている」人、意外に多いようですね。
私は自分の母達(実母・継母・姑3人衆)のことを、こっそりと「疑惑の銃弾 三浦和義症候群」と呼んでいました。
自分でこうだと思い込んだもん勝ち、思い込んだことを口にすればその通りになると信じているかのような生き様。
大人になっていろいろな人と話してみると、そういう人がけっこうな割合でいるもんだな、とわかりました。
こういう人たちは治りませんから、こちらから上手く距離を取って関わりを減らすしかありませんよね。
プリ子 Post author
絹ごし豆腐さん、コメントありがとうございましたー!
まわりに3人もいたんですか、思い込みで生きてる奴が!それは大変!!最初は本当のことを言ってるとおもっちゃうんですよね。はやく気付いて逃げないといけないけど、近しい間柄だとなかなか難しい…
しかしロス疑惑懐かしい〜