エピソード 1 *国防色の女学生がいく。
聞いた話を形に残すことを仕事にしている「有限会社シリトリア」が、
仕事で知ったお話の中から、皆さんにも聞いていただきたいエピソードをお届けします。
(シリトリアの経緯はこちら→★)
個人が特定できないように多少の脚色やつぎはぎをしていますが、
普通の人がみんな持っている、その人ならではのエピソードを
ご紹介していきたいなと思っています。
【エピソード1】
長年お華の先生をしてきて、今は俳句も楽しみ、
シルバーカーでずんずん歩く84歳の千佳さん。
品が良く、元気も良く、お話がとてもおもしろい方でした。
千佳さんが女学生だった終戦前後のエピソードです。
昭和20年5月25日の夜、東京・千駄ヶ谷で空襲に遭いました。
火の海、熱風の嵐にあおられ、焼けたとたんが飛んでくる中、
焼夷弾の油で燃え上がった靴を脱ぎ捨て、
靴下で熱い地面を走りました。
我が家の方を振り返ると煙の中に火を吹く柱だけが見えました。
途中で座り込んでしまった祖母を励まし、
母と3人で明治神宮外苑まで何とかたどり着きましたが、
衣服は火の粉でからからに乾き、顔も手足も泥だらけ。
その日は眠れない夜を過ごしました。
翌日、火は鎮まりましたが、
コンクリートの裂けた道路を戻る途中では、
白くパンパンに膨らんだ遺体が神社に寝かされているのを見たり…。
太陽は今まで見たことがない不気味な色をしていました。
家に戻ると、水道の蛇口はくねり、ガラスは溶けて、
住める状態ではありません。
それでも、近所に住む姉夫婦も無事でいただけ、
わたしたちは恵まれていました。
その後、叔母を頼って隣の県に疎開したのです。
わたしは、疎開先の女学校で、週に一度、
兵隊さんの衿章やゲートルを縫う被服作業をしながら終戦の日を迎えました。
数日後、先生から裁ちっぱなしのゲートル、鉄兜カバーの布、
その中に入れる真綿まで、
国防色の大きな塊が一人ひとりに渡されました。
家の奥深くに隠し、決して他言しないようにと厳重に注意を受けて。
やがて、電灯の黒布もはずされ、
少しずつ部屋が明るさを取り戻してきたある日、
先生が『ゲートルで足袋を作ってみましょう』とおっしゃいました。
わたしたちは家から隠していた布を持ち寄り、
型紙をあてて裁断し、こはぜを付けたりして
苦労して足袋を完成させました。
あの日、熱い道路を走った足で履いてみた、
ゲートル足袋は、ごそっとした頼もしい感触でした。
秋になるまでに、鼻緒、マフラー、手提げなどが次々に完成し、
大作をねらう人はゲートルをはぎ合わせてスカートや半コートまで。
女の子らしい刺繍やアップリケも登場しました。
そのとき預かった国防色の塊の行方については、
その後、尋ねられることもなく、
話題にもならずに今に至っています。
登下校の畑道に続く国防色をまとった女子学生の長い列や、
ゲートルの継ぎ目のチクチクした感触は
今でもしっかり覚えています。
- 写真/佐藤穂高(広島在住のプロカメラマンです)
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★月亭つまみとまゆぽのブログ→「チチカカ湖でひと泳ぎ
★ついでにまゆぽの参加している読書会のブログ→「おもしろ本棚」よりみち編
小関祥子
波間に消えていくような、ふつうの人たちのふつうの記憶をこうしてとどめておけるのはすごくいいなあと思いました。国防色の女学生たち、刺繍やアップリケを施すところなんか、生きていくこと、暮らしていくことの軽やかな凄みの表れのようです。
まゆぽ Post author
祥子さま、うれしいコメントありがとうございます!
「軽やかな凄み」って言い得て妙です。
普通の人の力ってそれですよね〜。
こういう小さなお話を共有したいとずっと思ってきたので、ほんとにうれしいです。
も一回、ありがとうございます。