エピソード6 ★ 昭和28年の新婚さん。
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしいエピソードをご紹介していきます。
【エピソード 6】
今回は昭和28年に結婚したツギオさんとレイコさん夫妻のお話です。昭和28年はNHKがテレビ放送を開始し、吉田首相の「バカヤロー」発言で国会が解散するという出来事があった年。どさくさな「戦後」から、高度経済成長への向かう過渡期の時代と言えるでしょうか。そんな時代の典型より、ちょっとハイカラな二人の物語です。
レイコさんの姉夫婦が下宿しいていた家に未婚の息子さんがいました。姉は、自分に年頃の妹がいることを伝え、では「お見合い」ということになります。
★当時は、一家族で一つの家を構えるということが当たり前ではなく、夫婦者でも住居は下宿ということもあったようです。また、結婚のほとんどは、見合い結婚の時代。仲人おばさんなどがいなくても、こんな形で見合いが実現していたのでしょう。
見合い話に、レイコさんは大喜び! だって、相手は、K大卒、大手電機メーカー勤務、背は178cm、いわゆる3高でしたから。しかも、独身時代にすでに家を購入していた家持ちだったんです。
大事な見合い当日、レイコさんは2種類の服で大いに迷います。一つはキリッとしたモダンなスーツ、もう一つは、やわらかい雰囲気のワンピース。最終的に、自分のタイプはワンピースだと考えたレイコさんは、薄桃色のワンピースを着てお見合いに臨みました。これが大正解! 見合い相手のツギオさんは、レイコさんを見て、明るくてかわいらしい女性だなと一目で気に入ったそうです。
★当時は、おしゃれすぎる(?!)バリバリな感じの人より、かわいらしい人がやはり好まれたんでしょうか(これは単に好みの問題ですね)。
ブログ「むかしの装い」より
めでたく結婚した二人。もちろん、新居はツギオさんが住んでいた持ち家です。独身時代、ツギオさんはその家でお手伝いのおばあさんと一緒に暮らしていました。その人、ツギオさんが結婚したら、当然出ていくと思っていたら、出ていかない。優しいツギオさんは辞めてくださいとも言えなかったようです。二人だけの新婚生活のつもりが、2か月くらいはそのおばあさんと3人で過ごし、レイコさんは「なんだか変な感じ」だったそうです。
★当時は、住み込みのお手伝いさんがいる家は珍しくありませんでした。
レイコさんは持ち家というのにとても驚きましたが、ほとんどローンで購入していてこれから長~く返済していくことは、結婚後に知ったそうです。普通のサラリーマンですから、それはそうですね。
街頭テレビに集まる人々
『テレビの現在と未来 音好宏さんが選ぶ本』より
やっと二人だけの生活を始めたと思ったら、ツギオさんが若い時に罹患した結核を再発。入院療養することになりました。まだ結婚したてということもあり、ツギオさんのご両親からは入院中は実家に帰ったらと気遣ってもらったレイコさん。
しかしレイコさんはそれを断り、毎日差し入れを持ってお見舞いに行きました。中でもツギオさんが感激したのはパジャマの上に羽織るガウンです。当時の既製服はまだあまり質が良くありませんでした。洋裁が得意なレイコさんは、ツギオさんのために貴重な厚手の生地を探し素敵なガウンを作ったのです。かなりハイカラで着ている人も少ないガウンにツギオさんは大喜び。おしゃれで背の高いツギオさんにはとても似合ったそうです。
1年間のレイコさんのこの献身は、その後の夫婦円満の土台になりました。めでたしめでたし。
映画『風立ちぬ』
軽井沢の結核療養所が出てきます。
★結核は、当時よくある厄介な病気で療養所もたくさんありました。
寝間着は浴衣&丹前が主流でパジャマ自体少なく、さらにガウンは珍しかったと思われます。
その後一男一女に恵まれ、末永く幸せに暮らしたお二人。見合い恋愛結婚ってヤツですね〜。
- 写真/佐藤穂高(広島在住のプロカメラマンです)
- 有限会社シリトリアのHPはこちらから★月亭つまみとまゆぽのブログ→「チチカカ湖でひと泳ぎ
★ついでにまゆぽの参加している読書会のブログ→「おもしろ本棚」よりみち編